ず、ドイツの歴史なんか全く知っていないことを痛感します。ゲーテのもちあげられる理由も、そういうドイツの歴史をかえりみれば、よくわかるのでしょうね。文化上の、ルーテル以後の旗じるしが、入用だし、心から欲求されたのでしょう。
ザイレはどういう作家でしょう。ツワイクと比較しておのずから感じるところは、ツワイクがあの敏感さをもってアントワネットやフーシェをテーマとして選んだ傾向、そのテムペラメントの本質の色調と、この作家が、万一一生にこの作一つしかないにしろ、ケプラーを捉えたということの、絶対のちがいが面白いと思います。ツワイクがオースタリーの出生であり、この作家はドイツの作家というちがいが、決定する以上の意味があります。
近頃ツワイクの仕事、このザイレの本、イギリスのストレチーの「ヴィクトリア」をよみ合わせ、伝記又は伝記小説について、学ぶところがあります。私の内面の世界は少なからず房々と重くみのった葡萄の実をとりいれ、それは今の私に多大の滋養を与えます。そしてつつしんで思うのよ。自分の日常が、こういう人間の偉大な光を、何の歪めることなく、自分で自分に云いわけせず、こんなに真直わが面を輝す光としてうけとれるように営まれていることは、どんなに感謝すべきであるかと。独力の可能の限界がわかっているからこそ。よくて。ここに小説家としての私が小さな盆からこぼれるところがあるのよ。小説は新しくならねばならず、古い小説の世界から私は彗《スイ》星となっている自分を感じます。彗星は凶兆ではなくて、ケプラーによれば、科学的に測定されるべきものであります。
九月二十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
九月二十日
世の中には意外なこともあるものね、と申しても実例は、あなたがお笑い出しになることですが、ケプラーが生れた翌る年バルソロミウの虐殺を組織したフランスのカザリン・ド・メディチ(一五一九―一五八九)が、近代のバレー(舞踊)演技の最初の組立て人だという事実があります。謂わばあの時代の最も陰険な最も暗殺をこのんだこの女王が肉体と精神の高揚を芸術化するために一役買ったというのは不思議です。デュマはカザリン・ド・メディチという、彼らしい小説をかいていて、昔よみ、フランス宮廷というところのおそろしさを感じたものでした。メディチはルネッサンスの巨匠たちに仕事をさせた家で、その家
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