家畜小舎の横を通ったおかげで間もなく牛が殺された、というようなことを云い、それが証言(!)なのよ。すると皇帝付天文学者ケプラーは遠路を泥だらけになってその農夫の村へゆき、小舎を検査し、家畜の飼育状態、農夫の日頃の素行などすっかり具体的にしらべ、その牛は「ヘクセ」が通る前から病気であったこと、病気になった理由迄明らかにして反対意見をのべ、それは誰しも肯かざるを得ません。其故、ヘクセにして殺し、ひいてはケプラーをも失墜させようとする連中は、ケプラーが出版の用事で留守のうちに婆さんをおどかしてころしかけ、ケプラーが大公からの書類をもって走《は》せつけて助けたというのが終末です。
 天文学者と云えば星覗き、星覗きと云えばアンデルセンにしろ浮世はなれた罪のない間抜けと思っているでしょう? だのにケプラーは何と活々と、現実と偉大な夢を調和させ、偉大な夢のうるわしさに比例して活眼を具え行動的であったでしょう。
 ブラーエは面白いのよ、デンマルクを学問を守るため遁げ出したのですが、ドイツ皇帝づきとなり、その迷信の面によって生活し、立派な貴族生活をしつつ孤独で気むずかしく、彼の科学は地球は自転せず、太陽が諸々の星をみんなふりまわしている(地球としては受動的)というところに止まっていました。性格的ね。こういう機微は小説家が感得するものです。(作家ザイレはしかし、ここに性格と頭脳の構成との連関はみていないのよ。)ケプラーは、風変りな魅力にみちた男性であったらしく、おどろく優しさと意志のつよさと純粋さをもって、謙遜でしかも何人もおそれることをしなかったようです。彼は、真理はよろこばしきもの、うるわしきもの、栄光あるものとして、その点では神の眼と自分の眼とがぴったり合うという体のふるえるよろこびを味ったらしいのです。乾いたところのちっともない、血そのものが瑞々しいというような男です。男の中の男がうち込んで愛し得る男であり、ワレンシュタインがケプラーの例のない真情の表現に対し、心をひらき、自分は旧教の皇帝を擁立しながらプロテスタントのケプラーに指をささせなかった所以も肯けます。
 あんなにごたつき、血腥《ちなまぐさ》くても、その時代には未だ人物は人物を見出すよろこびをもち得ていたのでした。ケプラーは巨大であり、あの時代は巨大な渾沌でした。
 私は自分がルネッサンスについて今まで皮相的にしか知ら
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