ぽい方の花弁に自身の花弁をふれそうになっているの。さわるが如くさわらざるが如く揺れている様子は大変風情があって、何か目をひきつける魅力があります。ほどなく、ほんのかすかに、髪の毛の感じるような風が一ふき吹きわたりました。すると濃藍の朝顔の花はその繊細ならっぱ形の花びらに不思議な生気をたたえて、いかにもそっと薄桃色の花にふれました。目の加減でしたろうか、ふれられた花は何となし花の紅潮をふかめたように見え、二つの花は、花弁の一端をふれ合わせたまま、じっとしています。もうおそい午後で、葉をすかして午後の斜光がさして居ります。その花たちはたっぷりした葉をほしいまま緑金色にきらめかせたまま、それにかかわりないように、寧ろ、その美しさの凝集のように葉かげによりそっています。明るさの奥にもう夕方のかげがひろがる刻限でしたから、その仄かな眺めは大変に大変に優艷でした。
私は自分を仕合せと思うのよ。こういう美しさを味うことの出来る仕合せは、くらべるもののないゆたかさとありがたく思います。
さて、本の話です。『偉大なる夢』傍題「伝記小説ヨハネス・ケプラー」という本で、ザイレというドイツの作家のものを、黒田礼二が訳したもの、ひどい紙の二段組でよみにくいことおびただしいものです。ひとからの借りもの。よんでみて、深く感銘されました。科学のこの大天才が、人間的尊厳にみちた生涯をいかに送ったかということが、十六世紀末十七世紀ドイツの紛糾混乱殺戮にみちた闘争時代の社会の中で実によく描かれて居ります。
歴史家は、中世からルネッサンスへの推移とルネッサンスの栄光について多弁ですが、ルネッサンスという豊饒な洪水によって一応は肥沃にされた土壤に、どんなおそろしい勢で腐敗もおこり雑草もはびこったかという、謂わばルネッサンスのリアクションというような事について、ルネッサンスとの対比において、その比重の大さにふさわしい大さをもって研究し描き出したひとは少いのではないでしょうか。部分的にドイツの農民戦争などを研究はされているけれど。このケプラーという大数学者天文学者、はじめて数学に根拠をおいた近代の科学的天文学の創始者であり、地球太陽の軌道が其々の長さをもつ楕円形を描いていること、地球が自転しつつあることその他の真理を明らかにした学者は、ルッターの宗教改革の後の反動時代のドイツに生れ(一五七一―一六三〇年)
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