的な規模、容積、気魄に打たれ、という芸術上のありがたい刺戟を感じることは少くて、何か近づきやすく詮索がましく、高揚されるより真似の出来るところをさがすという傾です。日本の金持はなかなか大きな作品は買えないということにひそめられる大きい意味を感じ、体がひきしまるようでした。
ペンさんは十月二日におよめに行くから一緒に一度御飯たべようと思い、しかしこの頃は外食券がないと御飯たべられないのですって。そこでペンさんの家へゆき、おかずを私が買って母子と三人でたべ九時、夕立の後かえりました。月夜の中を、送ってもらって。
きょうはいくらか御疲労です。けれどもいい心持よ、何しろ、ほんとうに足かけ三年来はじめて用事でなくて外出したのですもの。音楽は音の刺戟がきっと大きいでしょうからもっとあとのことです、眠れなくなるといけないから、ね。
本きょう頂きました。ホグベンの『市民の科学』を序よみましたら、この人は奥さんも経済学の統計学者なのね。四人の子もちです。奥さんは人口問題についていい仕事をしている由。すこし自分の心持を辛辣に出しすぎた序文です。しかし、「単純な真理について語ることを自分の権威にかかわることとは考えなかった」偉大な科学者たち、ファラデイ(「ローソクの科学」の著者ね)、チンダル(「アルプスの氷河」の研究)、ハクスリー(「死とは何か」)などを先輩と仰いでいるから仕事には責任を負っているでしょう。それに経済史のひとや教育学、応用数学の人たちの共働があります。そして序文にその本が出来たのは、ゴルフや宴会を系統的にことわって来たたまものだと云っています。
汽車にのっている間にかいた原稿が土台なのよ、タイプで原稿をつくるということにはこんな大きい能率上のプラスがあるのね。
果して私によめるのかどうか、何にしろひどい数学の力ですからあやしいものね。
この頃になって、自分の生活事情や性格というものに及んでも考えますが、私は十年前の旅行のとき何と筆不精だったでしょう。そして何とものを知らなかったでしょう、今は惜しいと思います、どうしてもっと細かく見聞を書いておかなかったでしょう。旅行のつれの関係もあり、ごく世俗的な興味や関心で消費していた点もあったけれど。私は筆まめに書きはしても、実質の飛躍のなかった人よりましというのがせめてもの慰めです。あとから書いた見聞の紹介はどっさりあり
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