けた顔、まことに珍しく眺めて停留場へ来たら彼方に一台電車が留っていて動かないのよ。子供をひいたという声がします。子供の大群がそちらの方へ駈けてゆき、男の大人が一人シャツだけでワッショイワッショイと両手で子供の群を煽って亢奮して駈けてゆきました。きれいな祭着の女の子たちもまじってゆくの、かけて。
その子はいいあんばいに小さくて車体の下へころがりこんで命に別状なくてすんだ由。でも秋日和に照らされて電車は動かず、王子の方へゆく電車で大塚まで出て市電でかえりました。菊富士に部屋もっていた頃、目白へかえるのに大塚終点までよく来たので、独特な視線であのあたり眺めました。山海楼という大きい支那料理やが出来ていました。
九月十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
九月十二日
きのうは大変珍しい冒険をいたしました。というのは、病気以来はじめて、三井コレクションの絵を見に行って、かえりにペンさんのところで夕飯を食べたのです。平河町の停留場の角に光ヶ丘病院というのがあるの御存じでしょうか。あすこは昔聖マリア館と云って聖公会からイギリス婦人が来て住んでいて、ミス・ボイドという人も居り、そこへ本郷からよく通ったものでした。そこが先年から光ヶ丘病院となりました。そこについて曲って一寸行った右側。三井の誰なのか、去年からコレクションを小さい展覧場をこしらえて公開いたします、各土曜の午後。僅か十数点です。その位なら大丈夫だろうと出かけ、久しぶりで心持よく亢奮しました。
いつかお送りしたモネの色彩的な「断崖」、ヴァン・ダイクの極く小さいもの。(この紙の倍ぐらい)コローの二十号(?)位。ブリューゲルの(冬)黒田清輝の先生であったコランの「草上の女」そのほか数点でした。美術学生が主として来ています。その人たちが近づいたり遠のいたり技法や(色のおきかた、コムポジション)を研究しているのを見ていて、何か私は洋画の伝統というものについて痛切に感じました。これらのクラシックのものは、どれも本物ではありますが、其々の大作家の全スケールからみれば全クフラグメントです。コローにしろ、ブリューゲル、ヴァン・ダイクみんなみんな壁を圧する大作をもっている巨匠で、その大さその精励、努力を土台として、小品もつくっているのです。しかし、こうやって将来されている作品しか見ることの出来ない人達は大家の世界
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