一局面からだけ云われるのね。特に小さい人々の側からいう時。芸術家の時代の相違のみならず、バルザックよりはレンブラントが上です。フーシェ伝(ツワイク)をよむと、バルザックの世界の渾沌雄大醜悪可憐は即ちあの時代のものであったと思います。バルザックは芸術家として根本の態度に、真似ては今日の作家が迷路に入る要素があるが、レンブラントの態度は、時代の叡智に掘りぬける本質のものです。
 イタリーが盲爆で多くの古典美術を失いました。それらは世界の宝でした。惜しいことは実に惜しい。けれども明日のイタリーの人たちのためには果してどうでしょう。イタリーは過去の栄光が巨大すぎ、食いつくせない遺産の上に立って居て、ルネサンス以降現代迄が芸術上新しい宝を生む力を萎靡させていた大きな衰弱を自覚しませんでした。一九四一年に又もやレオナルド展が世界巡業を行ったことは、不滅というよりも「さまよえるダッチマン」のオペラ式で、おおレオナルドをして安らかに眠らしめよと、シェークスピアなら科白にかくべきところでした。多くのものが失われ、それを灰燼に帰した暴力は世紀の恥辱ですが、イタリーそのものについては、あんまりたっぷりした祖先の財産からすこし解放され、御家宝拝見料で食わなくなる方が将来清新な、その時代のイタリーの建設にふさわしい芸術が開花するかもしれません。少くともイタリーのひとが本当に自分の国の誇りについて考えたとき、そういう勇気にふるい立つ筈でしょう。
 この手紙の一銭の切手は、なかなかいじらしいでしょう、日本の切手に女の働き姿が現れた恐らく嚆《コウ》矢ではないでしょうか。

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ノイザールという私の薬、これからも買えそうでうれしゅうございます、利くから。
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 九月十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(史蹟開成館の写真絵はがき)〕

 私が子供時分は、ここを村の人たちは「三階」と呼んでいて、村役場がありました。村役場につかったのこりの裏側の部屋部屋を人にかしていて、久米正雄母子はその松林に向ったところに暮していました。寿江子からの手紙によると、郡山の東に何里もある飛行場が出来かかっているそうです。トラックと軍靴の音が北へ北へと響くそうです。ずいぶんかわって来たとおどろかれます。 九月十日

 九月十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(開成山の中條阿
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