部両氏の記念碑と銅像の写真絵はがき)〕

 九月十日
 こんなものも私はまだ見たことがありません。郡山市読本というものにおじいさんのことがあって、私たちの知らない旧藩時代の勉学の閲歴などかいてありました。野上さんの息子がローマ大学の助教授なので、休戦したについて父さんの談話が出ていました。あっちに立派な能面や衣裳が行ったままになっていたのね。細川や蜂須賀所蔵の。緑郎夫婦の暮しも追々大きく変化することでしょうと察しられます。

 九月十日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 九月十日
 いまは、夜の九時。涼しい風が吹きとおします、お湯をあびて来てここに坐っていたら話したくなりました。
 きょうは、やや臥つかれたという御様子でしたね。無理もないと思います。いろいろと経験を重ねていらっしゃるから病気と闘う方法は会得していらっしゃるにしろ、ずっとお臥になって一ヵ月以上経ったのですものね。臥ていらっしゃる体がぎごちないというのは本当です。てのひらで撫でてほぐすべきところです、咲枝も丁度臥つかれた時分だわね、と衷心から云って居りました。
 そういう疲れかたは著しいにしろ、先、腸の病気のとき恢復しかかって初めて会って下すった時の、あの忘られない憔悴は今度ありません。あのときの憔悴というものは、全くひどくて今迄申しませんでしたけれど、あなたの濃い髪の色が赤っぽく変って、生えぎわから浮いてポヤポヤに見えました。今度は毛が脱けるかもしれないけれどもあんなすさまじいやつれはありません。ただ、あの病菌はやはりこわいと思います。疲れかたがやはり深く時間をかけて恢復しなければならないのですもの。
 そうやっていらして、悪い刺戟はないでしょうが、同時に、恢復のためにいい刺戟のうちに数えられる種類のことも少くてそれは不便です。私が癒るためにいい刺戟に不足していたと同じに。そのために時間をくうという点もあります。幸、今に涼しくなると、もう少し度々行くことも出来るようになり、あなたも体のもちかたが楽におなりになり、幾分はましとなりましょう。
 一寸お話していたとおりノイザールという薬は利いてこれ迄ずっといつも圧巻があって悲しかった頭のてっぺんが軽やかになりました。疲れが少くてよくなったこと、涼しくなったこと、薬が合うこと、あなたが安定を得て下すったこと、みんなそれは私の頭のてっぺんを軽
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