ときで、若林の周ちゃんのところへトリをたっぷりもって行って皆でたべ、大変それでもよろこんで下すって、それぎりお目にかかれなくても、マア思いのこすところありませんでした。出来るときに出来るだけのことをしておくという私たちの生活法は、いいところがあります。こちらの事情はこちらの事情として、一生に何度という気持で遙々来ている、まして年よりの人の心持は、それとしてやはり満足させてあげた方がいい心持ですものね。骨を折れば其だけ島田のお母さんにしろお気持いいでしょうと張り合いです。島田へは、豆をおねだりしようと思います。御飯にまぜて炊くものがなくなって大弱りです。来年の六月にはよほどのことがない限り、行くつもりです。五月頃からね。六月は十三日がこちらの母の十年祭ですから、あとはゆっくり出来ないわけです。
レントゲンはとりましょう、でも秋にね。村山へでもゆくのだけれど、暑いうちは面倒ですから。この頃のようにすこし疲れれば床にいる術を覚えたからきっとこれから体のもちは上手になるでしょう。寿江子は眼も悪くなって来ていて、近く池袋の近藤という眼科の人のところへ二人で行きます。あの人は遠視ですが、糖尿からの白内障でなければ幸ですが。そうだとことね。手術の出来る迄視力を失って行かねばならないし、糖尿末期に起ることで、白秋にしろ視力を失ってからじき肺エソになりました。神経疲労位であったら大助かりです。池袋へは来週のうちに参ります。母も眼の障害と内臓の病気は全く併行的でした。
この間のハガキのお礼呉々ことづかって居ります。
小説のこと。ありがとう。あなたは余りはっきりして何とも二の句のつげない比喩でものをおっしゃるから、私もあっさり兜をぬがざるを得ません。私のような粗忽なものでも、行先違いの便船にのっても一向進んだことにはならない道理だと云われて、イヤそうでもないかもしれない。うまく漂流するかもしれなくてよ、とは申しかねます。箇人的なあせりはないのよ。その点は御安心下さい。そういう焦慮が何ものをももたらさないことは狭い見聞でもよくわかり、まして金銭的展開などは大局からみて考えられもしません。私は自分の病気を大切に思い、今のようなとき自分がこんなに死にかかりやっと生き、命を蓄えて生きて行くということに、決して徒らならぬ天の指図があり、天は私の文学を劬《いたわ》ってくれると思って居ります。そ
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