の位深く感じているのよ。東洋人風に、天[#「天」に傍点]という位。
ですから私があれこれ考えるのは全く文学の方法としてのことです。芥川龍之介は佐藤春夫のことを、生き恥をかく男と云って当時酷評とされていました。でもそれは一つの炯眼でしたね。私は昔から所謂文壇ぎらいで、そういう常套の雰囲気なしで生きて来ているし、いい友達はこういう折に益※[#二の字点、1−2−22]いい友達として誠意を示してくれるし、それだけの面から云っても孤独の感じはありません。それは圧迫となりません。そんなものは私に遠いわ。そうなわけでしょう? どうしてわたし[#「わたし」に傍点]が孤独でしょう! その人の人生にすじさえ通っていれば過去にも未来にも、知己は、各※[#二の字点、1−2−22]の卓抜な精励の業蹟の中から相通じる人間精神の美しい呼吸を通わせます。孤独になるのは、その者が、迷子になったときだけよ。日常生活の中においてさえそうです。宇宙の法則から脱れてほしいままに自分にまけたとき、孤独は初まるのでしょう。孤独について、私がこうかくには、私として浅くない感銘をうけていることが最近あるからなの。あなたも御存じの背の高い人の初めの細君は、自分のぐざりとした気分から良人の生活とはなれ、自分にふさわしいと思った安易の道を辿りました。ところが、その道はひどい下り坂で、しかもバイブルの云うように、美しく幅ひろくもなかったの。こけつまろびつ、体をわるくして、あとから婚約した人とも破れ、今中野の療養所にいます。咽喉を犯されたって。小説をかいてよんでくれと云います。よむと、自分を哀れな孤独なものとして美化して描き、終始その孤独を甘やかし、何故に一人の人間が孤独に陥ったかということについて自身を考えて見ません。決してその点をえぐらないの。ですから小説の人間成長の点で堂々めぐりで、云ってやっても感じないの。ぐざりとして腰をねじくったポーズを今に到っても立て直せず、恐らくこの人は気の毒ながら、女の一生とか孤独とか人の情のうすさとか私の気むずかしさとかそんな思いに一生を閉じるでしょう。病人だと思って私は小説はよむことにしています。けれどもいやなの。哀れで腹立たしいの。どうして自分の初めの一歩の逸《そ》れが一生を誤らしたと真面目に思わないのかと。
昔の良人の兄弟とその妻たちは類例の少い人たちで、本当の同胞思いです。長兄
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