た光りに照らされた安全地帯と、月光で互の顔を見分ける銀座二丁目とをあなたに想像お出来なさいましょうか。安全地帯の端の赤い標識柱のわきに身をよせて若い女のひとがぼんやり立っているうしろからヒョッコリ男が現れると、私は何だかふつうでない――用心する瞬間の気になる、そんな銀座がわかるでしょうか。殆どすべての店は厳重に表戸をおろして居ります、夜店がマバラに、もうしまいかけの時のようにポツリポツリとあって、はだかの電球の光が低く流れています。似顔絵切りぬきが、覆いをかけた灯の下で街角にいて、たかっている人がすこしある。八時すぎ、日曜日、でももう深夜のようでフラフラしている人はない様子でした。出たらきっと驚く、と云われていたけれど、全く強い印象をうけました。銀座の表通りのような都会的消費の町は、こういうときほんとうに早く表情を変えますね。昼間は今でもやっぱりさもしき[#「さもしき」に傍点]ハイカラーがふらついているのでしょうが、すこしくらくなり、たのしみがなくなると、こそこそとどっかへ消えてしまう。戸塚や動坂や、ああいう、生活している人間がいる人間がある以上店も入用というところの方が、雰囲気が病的でなくて日常的でずっと健全であり人間らしさを保って居ます。銀座で何も実質的買物をする必要のない人々が東京に何十万といます、だから、銀座なんかが真先にがらんとするのは自然のなりゆきです。銀座が寂しくなったということはしばしば聞いたが、そのことで銀座の本質が示されて居ると云った人はありません。生活のしみじみとしたところを見落しがちなものね。
宗達という装飾画家のこと御存じでしょうか。俵屋宗達と云って寛永年間の人、土佐派の出で光琳、光悦の先輩の由。この人の描いた源氏物語絵巻のエハガキを偶然みて実に気に入り、光琳のように装飾のための装飾、図面の固定化、様式化しすぎた大名菓子のような死んだところがなく、力づよく清新、男らしい構成力があって、つやがあって(大したほめ方でしょう?)本当に近頃うれしいものを知ったと思う画家です。この人は十分の技倆をもった写実家です。それを土台として、伊勢や源氏の絵巻をかいていて、コムポジションの頭のよさ、牛車をひいている牛や人間の重厚さ面白い。その人の絵は何故か余りエハガキなどにされなくて伝記もないようです。造形美術という雑誌に出ていたから、とうちへ泰子の服を縫いに
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