居りました。
今は午後二時。むし暑くなりました。書いていると腕が机にはりつきます、湿度九十九パーセントよ。そちらもべたついていやなお気持でしょう。きょうのような日にお風呂の番だと嬉しいことね。
十三日には思い設けず自動車をよべたのでそれではと、何年ぶりかで青山へお参りしました。先の頃はいつも草むしり婆さんが、あの道この道と毎日まわっていて、広い道から横へ入るところにも砂利がさっぱりして居りました。もうそんなところにかける人手は足りないのね、草ボーボーで田舎の墓道のようでした。お墓そのものはきれいでしたが。いつの間にか何かの木の芽が実生から二三尺になっていて面白うございました。欅みたいな葉だったけれど。ぐるりと墓地下から青山一丁目へぬける新道が出来て、もとは墓地裏の谷間を電車が通っていたところが、カラリとした大きいカーブの一寸絵画風の新開路になりました。
その通りは一丁目の消防署の側、教会の角へ出る道と通じて居ます。そこを通って銀座へ出ました。これも何年ぶりかの銀座ですが、やっぱりいろいろとおどろきました、オリンピックで、のむものなど二種しかない、アイスクリームなんてどこにもありません。女の子たちの着物の色が染色の関係からどれも泥絵具式に混濁していて、所謂キレイな色ほどひどく濁り、それに布地の節約からおそろいの服をつけている姉妹が大変目につきました。電車へのったら人々の持ちものが元とは大変ちがっていて、大抵の人が形のまとまらない、つまりぶかっこうな風呂敷包みかかえていて、四合ビンをもっている人も大分います。省線の夜野菜のはみでていない風呂敷包はないし、という話をきいたが、これではそうでしょう。ちょいちょいした粉だの菜っぱだのというものの包みは、正直に自分たちを主張していてスマートな形にばけるという術は知りませんから。
荷物に表現される生活状態というものは生々しいものです。たとえば上野駅を出入りする荷物と東京駅とでは何というちがいだったでしょう。クールスキー停車場に出入りする樺製カバンの形と、ガール・デ・ノールのワードローブ・トランクとは何とちがったでしょう。でも、今日は東京駅も上野も互に近づきました。そして荷物として動く荷物は、世界中似ているかも知れないわ、カーキ色の被いをかけて。大したものであると、つくづく感じました。八時すぎ家へかえりましたが、月の青々とし
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