盤まで掘りぬく力は、まともさのみであり、それによって信頼が貫かれたとき、泉は何とつきず美しく湧き出すでしょう。しかもその深い深いところから湧く水の音はしずかで下ゆく流れであって、怠惰によって水口をふさいでしまえば、水は抵抗せず再び新鮮な機会の来る迄地層のうちにかくれます。
 私は自分が命をひろって、生命をとりもどしたとともに、一層生活の真の意味にふれてゆく折ともなっていることに大きい仕合せを認めます。
 妻としてもそうよ。私は意気地なしのところもあって、いつも御心配をかけすまないと思いますが、それでも様々の経験にうちこんでゆくだけには、その程度にはいくらかのとりどころもあります。まともなものにこたえるこだまは心のうちにあります。それによって、私が益※[#二の字点、1−2−22]深く感じる信頼こそ生活の柱だと思い、私に対して、私が抱くほど確固としたものをおもちになれないにしろ、やっぱり歩いてゆく姿の、その一つの姿はいつも見ていて下さるのですし。
 この頃何かにつけて思っていたことなので。そして年の移るにつれて人間が仕合せと感じることや、その動機が深められ、一層謙遜に評価するようになるのも興味あることだと思います。

 六月一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 六月一日。六月になりました。きょうは、雨つづきの間に時々晴天になるあの日よりで風もふき、家の中の湿気がいくらかとれるようでいい心持です。
 二十八日のお手紙きのう朝九時十五分頃定例によって出かけたとき頂き袋に入れてもらっていて、くたびれを感じると、あれがある、とたのしみにして夕方よみました。
 全く海を思い出すのはこれからですね。特別今私は自分がまぼしくて海が駄目だから、猶更です。芳しい潮の匂い(これは日本の海特殊よ。南はどうだか)色調。つよく軟いうねり。人のいない海辺の淋しさはなかなか詩情を誘います。海はそこに泳ぎ、又雄大な航行をするものがあって、はじめてこの世の美として存在しはじめることは確かだと思います。人間と自然との関係が常にそうである通り。人間が自然の創造の一つではあるが、その人間が宇宙の美も法則もこの世に在るものとして行くというのは何と面白いでしょう。そういう人間をつくる自然の力の大さゆたかさ。ね。自分というものを自分にとって存在するものと知らす人にこの世で出会えた者は、人間冥加と申
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