には稀有ですね。
 私にしろ、自分の条件が病気にかかりやすく、なおしにくく永びき、その点楽をのぞめないものと知りながら、その病気をもってゆく術は上手でなくて、癒してしまいたがってそういう単純な生活慾は通用しないことが何だか分っているくせに分らないようなところがあります。
 いつもあなたに心づかいおさせして御免なさい。ちゃんと落付いて養生しているか、どうか。気をせかして妙な頓服や注射なんかしはしないか。そういうことをちっとも案じて下さらないですんだら、私もどんなにうれしいでしょう。
 けれども又一方からは、あなたがいつも真直な明るい視線を向けていて下すって、その眼を思ってみれば、自分の眼のなかに光がともるのも私としては深いよろこびです。私は子供らしい心持で、よろこびからこそ義務も責任もすらりとわかるというところがあります。偽善家ではない証拠かもしれないけれども。錬磨されるテムポは、人によってまちまちで資質の純、粗によってのろかったりするものです。
 この伝記は下巻も出てからお送りして見ましょう、そして私は夏休むとき「ピョートル」をよんで見ます。私はこの頃自分のもっている仕合わせの質について、これ迄よりもずっと真面目に、厳粛に考えるようになりました。
 私がこうやって病気して仕事も出来なくているとき、少くない人がこれ迄にない親切をつくしてくれます。真実に生活を思いやってくれます。その親切の源はどこにあるでしょう、決して名士好みのファンの心もちでない親切。又ある時期一つ財布で暮したなどということの全くない人たちの親切。何でもない奥さん、おばあさん、友達、その人たちが私にあたたかい思いやりをかけてくれるのは何故だろうか、と。その人たちに私は何を負うているかと。眼がわるいことの気の毒さ、は、私が只ものをかけないよめないということにだけかかってはいないのだと感じます。
 私は謹だ心でそれらの親切と、そのような親切をうける自分の仕合せを考えます。
 それらの心もちは一つのものにまとまって、人間はとどのつまり何によって生きるかということの考えに向い、私の心はそれは信頼であると明瞭に答えます。人としての信頼の深さこそ唯一の仕合わせの源泉ですね。それを、人はめいめい自分の最善の力をつくしてかち得てゆくのです。狡智や張りこの理屈や、そんなものはここまで持たないものです、人間関係の最深の地
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