い。オリザビトンのことだと思ったのでした。ビトンは目下、粉末しかなくて、これから先も錠剤等は出にくいそうです。ですからこれは駄目で「ユガマン」と言っていたのは、ペンさんが近藤で口をみて発音を聞いたところ「ユバモン」というのでした。オリザビトンの代りにはこれが一番よさそうです。一回一―二錠、一日三回、三百錠十一円。オリザニンは専門家にいわせると、気やすめ程度だそうです。わけて二つのむならBはメタボリン錠の方が実効があるらしい様子です。
 毛布のこともそうとわかれば、これまたお気の毒でした。十二月までには何とかなりましょう。袖のある夜着は、今のでは寒中お困りでしょう! 洗濯毛布が入って毛布が二枚になったら、厚い夜着と代えることが出来るでしょうか? 夜着は十二月に出来ますが、ダラダララインは、今私の舌たらずな発音では大変言いにくくて、ダアダア、アインと聞えるそうです、一層悪いわね。
 大学書林は一年一回出ていて、今あるのはそちらへすぐ送るように頼みました。
 ヘルマン・ヘッセは本郷辺は売切れですから神田をみましょう。こんなありふれた本でさえ増刷を制限しているものだからこの始末です。楠書店はまだはっきりしたことがわからないので、明日でもまた電話してみます。
 この間手紙で申しあげたように、ああちゃんの入院を機会に注射をやめようと思ったので、目白の先生に細かく相談しましたところ、それでよいだろうし、薬も整理してメタボリンとレバーと、眼の為のヨード剤位にして、レバーにはAもCも入っているから、幾種類もただ並べて惰力のように薬をのまない方がよいということです。Bを普通よりたっぷりのめば。Bはよく説明してもらいましたが、脳炎などの後、本当に失明してしまうのは、視神経が萎縮してしまうので、眼底をみれば神経の束が眼球に入ってきているところに細い血管が集っていて、それが独特なカーブを書いてそのカーブの深さで視神経が萎縮して低くなってしまっている深さが、はっきりわかるのだそうです。
 私のはもう三月にもなるのに、萎縮はちっ共起っていないそうです。そしていくらかずつよくなってきているから、悪性のものでないことは専門的に確実だそうです。ここに図を書くと尚いいのだけれど。(ペンさんがお得意のところでやるそうです)
[#図1、眼底の図、二点]
 咲枝さんのお腹は今もってパンクしません。でも今日明日で、私たちは始終大きなお腹に横目を使っています。今度私が病気したことは、この人にとっては案外なもうけもので、一緒にBや心臓の薬を注射したため、母体の条件が大変よくなってきているそうで何よりです。今は皆自信を持って安産を考えていますが、夏頃はひどくうっ血した顔をしているし、苦しがっているし全く心配でした。五月頃聖路加へ通っていると聞いて私は困ったことと思い、しかし自分でよりよいところを紹介できないし、さて今度はどうなることかと思っていたら、私の先生から近所のよい医者を紹介され、命拾いしました。始め羊水が多すぎると言って食物制限をして、バターを食べさせなかったところ、小鷹さんに診せたら心臓が丈夫でない為、うっ血してガスが発生し、その為お腹が人並より大きいし、全体むくんでもいるというわけで、勿論バターなどは是非たくさん食べた方がいいしという話で吃驚《びっくり》した次第です。聖ロカの医者にはそういう致命的な問題がちっ共みえていなかったのです。私の命と一緒にもう二つ拾ったので、それというのもまず私が死んだからで相当感謝されています。私は今、回復期のきわめて滑稽な状態で、自分の疲れ方が見当がつかないところがあって、どの位まで動いたら気持よく眠れる程度に疲れるのかわからないでまごついています。どうもボタンなんかをみつめて目玉をくりむくと、てき面にひどく疲れて工合悪く、昨日などの様にいくらか人足めいた品物を動かすような仕事は、細いものをみないために案外疲れません。つまり眠れるように疲れるのです。当分これでは人足ね。でもうちはそういうことをする人がなさすぎて、どこもかしこもうず高いから、ポツポツ女中さんを助手にして、ごみ片附けは細君にとっても歓迎です。気持のよい疲れ方というものを求める気持が強いにつけ、好ちゃんがいたらどんなによかろうかと思います。元気ながら持ち前のおもいやりでいたわられながら歓談したらきっと人足仕事などを心がけないでも、もっともっと詩趣豊かにほっこりするでしょうのにね。
 重い病気から回復してゆく間のこういう感情は、私として始めての経験です。あなたはきっとこの数年の間に十分お感じになっていたことでしょう。でもあなたのその時期に、私はちっ共そんなことは知りませんでした。今はそれがわかります。何にも言わずにあなたはそういう時期もお暮しになりましたね。言われてもわからなかったかしら。私の爪の真中に一本横にひどい窪みが現われました。爪が伸びてきて三月前死んだ時の線が真中まで押し出されてきたのです。チブスをやってもこんなことはないそうです。「ひどかったんですなあ」と先生が感服致します。賀川豊彦でなくても死線が現われました。
 あなたがひどくお悪かったあと、髪がうすく軽くなって、向い会っていると頭の地がすけてみえて本当に吃驚したことがありました。絞りの着物を着て、やっと歩いて出ていらしてお腹を落して椅子にかけていらした時分です。日本画家が幽霊をかく時には、必ず頭のぐるりをぼかして少しはなして、ポウポウとした毛を描きます。それがどんなに実際に観察にたっているかということが沁み沁みとわかって、あれを思い出す度にああよくも命が助かったと思いますが、今の私は爪に死線が出たとおり髪もピンチです。いささか亡者めいています。まるでチョロリとしたしっぽを下げているきりで、いかに私が楽天的な妻でも、頭に毛が十本というのではお目にかかりにくいわ。
 来年になって眼の方がちゃんとしたら、髪の毛もせめて普通までこぎ戻るように太陽燈でもかけます。これは眼に害がある光線だから目下は御心のままに[#「御心のままに」に傍点]抜けているしかありません。
 芸術家と日常生活の関係は全くここに言われている通りです。文学は生活感へいつも立ち戻るところがあるけれども、音楽や絵は一定の技術上の習練がいる為に、そこに足をとられて女の人などは殊に危っかしくなり勝ちですね。
 この頃私は人々の向上心というものについて興味ある観察をしていますが、(ついてはページをくってみたところ、もう十枚目だからこれは次便にまわします)
 富雄さんのところを光井へ聞いてやりましたが、そちらでこの次の手紙で教えて頂きたいと思います、古いのしかないから。
 来年は島田のお母さんが六十一におなりでしょう? 私達にとっての六十一はそれとして祝う意味もないが、お母さんはやはり還暦ということをお考えでしょう。普通は赤い座蒲団などを送りますが、そんな形式的なことは元気なお母さんに失礼ですから、何とかやりくりしてお気に入りそうな着物を一揃え上げたいものですね。御賛成でしょう? 島田へ二三度行くところをやめれば何とかなるかも知れませんね。くわしいことはまた何れ。今日も秋日和です。

 十一月五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代筆 セザンヌ筆「花」の絵はがき)〕

 大変に色が悪くて説明書の効能が発揮されませんね。今日は割合のんきな日で満開の山茶花の花を、二階からながめたりします。咲枝さんは正に今にも、というところで、うち中待機の姿勢です。なかなかの緊張ぶりです。
 お正月になったらと楽しみなことがあります。それはまた自分で手紙をかいてもいいという許しを自分に出そうと思って。今度はどんな字を書くでしょう。少しは小さくなるかしらん。橘の本はありました。前進座が火事で焼けました。実に可哀想です、あの骨折を思えば。大東亜文学者大会というのがあります。村岡花子が日本の女流作家だそうです。

 十一月八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代筆 ボナール筆「桃」の絵はがき)〕

 今日は嬉しいことがあります。オリザビトンが五つ程みつかりました。今そちらにいくつかあるでしょうから、これですくなくとも一月までは持ちますね。早速二つお送り致します。ああちゃんはまだパンクしないで、はたをハラハラさせて居ります。もっとものびただけのことはあって、オリザビトンもそのお蔭よ。つまり余程前に私の居ない時、買ってあったのを何かのはずみで霊感的に思い出して持ち出してきてくれたのですもの、うちは物の在り場所ということについてはまったく独創的で、常識がこのとなりには凡そこんなものがありそうだと判断する、その判断が全くあて外れで、かつぶしがざるに入っているその上に何がのるかということについてはのってみなくちゃわからないし、という次第です。だから私の様な新米はとかく世間並のことを考えて、片付けるはいいけれど、私は私で片付け忘れるという病気でお話しの他の有様です。でもビトンはあんまり悪口は言えないわね。あ〔数字不明〕出したんだから。

 十一月十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代筆 堀井香坡筆「ひととき」の絵はがき)〕

 何となく冬めいた日です。寒いけれど風邪は大丈夫でしょうか。咲枝さんはまだうちです。大同書院という本屋から瀧川政次郎著『法律からみた支那国民性』というのが出ましたが御覧になるでしょうか。御返事下さい。
 私は注射をやめました。やめ時らしくて先生から言い出されたから。何となしのんびりです。セザンヌの伝記を読んでもらい始めました。何しろ一ヵ月振りの本だから仲々面白い。でも視野が比較的狭くて歴史のモメントを深く個人の上にみないからその点は喰い足りず(改造文庫)。赤チャンの名前が男の子はまた一苦心で、食堂のテーブルが賑わいます。今、照二郎というのを思いつき、かなりいいと思います。字面も悪くないでしょう。

 十一月十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代筆 封書)〕

 十一月十一日
 もう北側の障子をあけると冬の風が吹きこみます。三十一日に書いて下すって以来、御無沙汰?
 風邪をお引きになったのではないでしょうね。
 私は二三日来、注射をやめて飲み薬だけになりましたが、心のどかで好調です。何しろ静脈注射ですから気がはるのよ、痛い時はひどいから。
 知らなかったけれどB・Cの外に砒素の薬が入っていたらしくて、それは心臓の為や体の再建の為に役立ったのでしょうが、あれの特徴で興奮性だからそういう刺激があって、レロレロのくせに働きすぎるというような傾きがありましたが、うちでの通称「ウワバミ」(ウワバニン)が切れたら、たががゆるんでお目出たくなって夜は早く眠がるし、少し動くとくたびれるし、気はのんびりしたし、つまり実力に戻って、うち中気嫌がよくなりました。今になって白状に及んだところをみると、みんな相当私のウワバミ元気にはヘコたれていたらしいのです。更に滑稽なことは咲枝さんも心臓の為にそれを注射されていて、ウワバミ元気にあてられる度も一入《ひとしお》であったのでしょうが、しかしこの人の方は腰の痛いのがましだという結果に現われて、私のように悲しき女人足にはならなくてすんだのです。
 こういう薬のこともなかなかむずかしいものですね。個人個人によって、受け方が大変違う、一つの体への+《プラス》と−《マイナス》の関係が本人にもよくわからなくて。つまりやめ時だったのだろう、という衆議に一決しています。今年の冬は私は大変寒そうです。足の冷え方が格別です。夜具が重くて、フウフウで狐の子のように落葉をかけて寝てみたい。重い病気のあとはそうですね。あなたもボタンのかかるシャツは一冬お着になれませんでした。やはり胸がつまったのね、夜具の重さなども胸にかかるから不思議です。本当は足先にかかっているのに。心臓にこたえるのね。十年昔の大事大事の木綿のあの蒲団を今年は始めて蔵《しま》いそうです。大学書林のはついたでしょう。橘は現在は目録を出していないそうです。本はこちらへとっておきます。
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