手紙に書いたように、もし島田の人が本当に心配をするなら、二度目の速達の品を揃える時間はあったわけですから、すべてが徒労になったわけでもあるまいと思います。お母さんも薬のことはお喜びでお手紙がありましたから。電報の御返事取敢えず。風呂の釜がなおることになって大喜び。
十二月十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
ペンさんがヘントウ腺をはらしたというので来ず、うちは泰子さわぎて眠らない人ばかり。私は手紙が書きたくて気がもてず、二階へ来て、こんなかきかたをして見ます。柔かい5Bでこうやって書くのは割合楽よ。あなたもこの間うちはあちらこちらとお忙しかったのね。隆治さんと母上とからけさおてがみで、私の細かいことづてもつたわり、物も届いた様子です。七日に小包が間に合わないから、速達で申上げたものを広島で買っておわたし下さいと電報したことや、航空便のダメなこと申しあげましたね。これをかき初めていたら、太郎が九日ごろのお手紙もって来てくれました。それともこれは十日におかきになったのかしら。
あなたも永いこと御不自由ですみません。自分でいろいろ出来ず、電話かけてもまだはき気がしたりして本当に厄介ね。毛布が送れて一安心。どてら、いつ縫って来るつもりでいるのでしょう! そうそう牛込の荷物ね。あのなかにはオリーブ色、細かい格子の裏の絹の丹前があっただけでポンポコはありませんでした。あの昔のなつかしい染ガスリの夜着のようなのは。
私は国男さんの所謂じれったがらない修業が大変よ、何しろうちは何かの巣のような騒ぎで、考えておいて黙って実行されるという一つのこともないのですもの。きょうのあなたのお手紙にパニックは起さずとあり、又向い風とかきかけて消されてあって笑えました。そして、こうやって一人自分のカンシャク姿に笑えるのは、やはり一つの慰安なのよ。こんな紙にこんなにかくと、何もかかないうち何と長々と、お軽の手紙のようになることでしょう。
小曲
小さな男の児が
大きい椅子の根っこで
じぶくっている
父親は遂に夕飯に帰れず
となりの子供たちは
みんな出払っている休日の夜。
男の児はじぶくっている
「お父ちゃまとお風呂に入りたいんだよ」ウェーンウェーン
母親はミシンを動している
これから生れる子供のために
椅子の上には
赤い毛糸の足袋で
小さい女の子が笑っている
「お父ちゃまと一緒に
入りたいんだってえば」
母はなおミシンを動している。
やがて女の児がつれ去られ
泣きつかれた男の児は
そのあとへ這い込む
九歳のしなやかな
日やけ色の手脚をまるめて
名もなつかしい
|おじいさん椅子《グランドファザーチェア》は
おだやかに 大きく黄ばんだ朽葉色
気持の和むなきじゃくりと
ミシンの音は夢にとけ入り
時計はチクタクを刻む
となりの子供は
みんな出払った 休日《やすみび》の宵。
十二月十一日
十二月十四日 (消印)〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代筆 コロー筆「樹陰」の絵はがき 速達)〕
十二日朝の速達戴きました。(十三日)
隆治さんに送る物に就て、はっきりその後の様子を申上げなかったので、気を揉ませて済みませんでした。七日に間に合うよう、電報をして、品物を揃え、母上から隆治さんに渡していただきましたが、ウィスキーや、磁石は、もしないといけないと思って、小包で島田宛送って置きました。書留小包にすると、割合早く、確に着きますから、二十五日頃もし出発が実現しても間に合うでしょうと思います。私の二通の島田宛の速達も隆治さんにお渡し下さったそうです。二十五日頃と云うのは、隆治さんの予想だそうです。お互さまに気をもみましたが、これでマアいくらか安心です。この次の面会は出来るものやら出来ないものやら不明だそうですが。小包を出したらホッとして、昨日の手紙にその事を書きませんでした。今日はうすら寒い日曜日ね。飛行機の音がします。
十二月二十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
きょうもお軽の手紙ですが、紙を更えて。これなら恥しいほどズルズル長くはなりますまいから。
十七日のお手紙をありがとう。
隆治さんのことはやるだけやって見て全くようございました。あとから送った磁石(夜光)やウィスキーなどが十六日に届き十八日に最後の面会だったそうでした。ウィスキー磁石等紀さんに大骨を折って貰いました。ウィスキーはポケット用のビンではこわれるから大さわぎして水筒を買い(これも今はない)それに入れかえて送りました。隆治さんから十九日に電報が来て、
イロイロノゴハイリヨアリガタクウケマシタゲンキニシユツパツ
とありそれを見たら涙が浮びました。有難くうけ[#「うけ」に傍点]と電文をかいているところにも、あの人の気質がよく出て居ります。生かしてかえしたいと切望します 実に それを願います。
ウィスキーは内国産でも現在は薬用に足りるだけ純質なのが少くて、散々人手を経て一ビン買い小売りをしないというので大枚を投じ、うちにあると、無駄にのむ奴がいるから紀さんにあずけてあります。それから水筒を又一つ入れて達治さんに送っておきましょうね、今度のように気を揉むのは辛いから。
達治さんも同じ方角でしょう、そちらに重点がおかれているらしいから。磁石は手に入るかどうか。天文の本は紀さんの意見では非実用の由です。
実に特別な年末ですね。
この家での生活は、子供が三人になったら又一つ様相変化して大変なものです。太郎は今私と一つ部屋に寝て居ります、泰子が四十度ほど熱を出しているので。赤坊についている看護婦さんは泰子が熱を出すと同時に自分も熱が出たそうで、ねて居ります。赤坊が人工栄養だし、泰子がああだし、お母さんは本当に二人の子供の間でキリキリまいをして居ります。したがって私はどうしても家のことに手を出さずにはいられなく、そのため過労してパニックも生理的におこったのですが、よくよく考えて、もう余りつかれないようにしようと決心したので、この二三日は幾分ましです。
ペンさんはこの頃は一週一度にして居ります。「自分の生活とまるで関係がないから」とはっきり云われると私は切ないからもうこういう法式で自分がかくことにしました、あなたにだけは。用足し手紙は仕方がないが。
寿江子の体いろいろありがとう。
こうやってチラチラと定まらない視線の間から、段々に少しずつ字も書いて行くのがいいのでしょう。全く視力の恢復の手間どるのは苦痛となって来ました。本はよめません。知っている字をこうやって半ば手の調子にたよって書くことの方が出来るのね、使う字もわかっているし。この頃は少し頭の疲れもしずまって来て、注意もやや集注するようになったので、眼のおくれは一層切実に感じられることとなりました。
近日うちにお金もお送り致します。森長さんや九段は例年通りでよろしいでしょう?
もう一度は年内にかけますね、或は二度? この一つ二つの手紙の中で今年出来たものをみんなおみせして新年は新しい諧調をもってはじめたいと思います。風邪はお気をつけになって。
底本:「宮本百合子全集 第二十一巻」新日本出版社
1980(昭和54)年3月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
※初出情報は、「獄中への手紙 一九四五年(昭和二十)」のファイル末に、一括して記載します。
※各手紙の冒頭の日付は、底本ではゴシック体で組まれています。
※底本巻末の注の内、宮本百合子自身が「十二年の手紙」(筑摩書房)編集時に付けたもの、もしくは手紙自体につけたものを「自注」として、通し番号を付して入力しました。
※「自注」は、それぞれの手紙の後に、2字下げで組み入れました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:柴田卓治
校正:花田泰治郎
2004年10月15日作成
青空文庫作成ファイル:
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