家のなかの死に損ないから誕生まで、何やらかやらと厄介をかけます。今日は木枯らしが吹いているけれど、風邪お大事に。
 十一月二十五日

 十二月三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代筆 封書)〕

 十二月三日
 今日は珍らしい報知を致します。泰子が昨夜の十二時から今日の昼までたっぷり十二時間眠ってうち中をアッと言わせました、何年にもないことです。この間中は一時間、二時間おきに起きてないて、私は全くグロッキーになり、一昨日は病人となりました。手つだいの人達が気の毒に思って自分達の方へ寝かしてくれ、一晩でかぶとを脱ぎ、昨晩は、さてこれから一合戦と覚悟をきめていたら、思いもかけず眠り通して六時半の太郎の目覚ましで、私も起きた時には思わず床の上に坐って、しげしげと泰子の寝顔を眺めました。せめて五時間でも続けて毎晩ねられればいいのにね、と。可哀相に。泰子も出産の時、圧迫によって脳に出血したらしくて、その為こういう有様ですから小さい体のなかに正常に伸びる力とそれに伴わない神経の萎縮があるから絶えず不安で困るのでしょう。今日は私も、夜昼とり違えでないから気分もよく、かんしゃくも納っています(この風に吹き当てられるのは他ならぬペンさんで昨今は時々向い風に吹き当てられるような目付きを致します。ところがアッコオバちゃんはえらいスパルタ教育だから生活はお手柔かな日ばかりあるものかという勢いで相当抵抗力を養成しつつあります)

 御注文の辞典類は木村の『和独大辞典』と白水社の『和仏辞典』とがあったので、書店から直接そちらへ送るように送金致しました。『朝日年鑑』と片山の『ドイツ文法辞典』と、『ドイツ現代短篇小説集』お送りしました。芸文書院のことはお手数すみませんでした。早速電話したところ、現在カタログはなくて、在庫品としては単語集と童話集があるだけだそうです。
『毎日年鑑』はまだ出ていませんが出次第とっておきましょう。
 赤ん坊はずっと良好で三十日のお七夜には健之助という名がつきました。そちらの御意見がみんなに同感されて、次郎、三郎はお廃し、ということになりました。なかなかしっかりしたよい名で好評です、合作ですね。
 今日寿江子が帰ります、そちらに行ける人が出来て私はやっとホッと致します。
 隆治さんが二十五日から九日までうちへ泊ってそれからまた南へ行くということが友子さんと母上のお便りでわかりました。やっと無事帰ったと思っていたから、私の気持は苦しくて可哀相で、じっとしていられないようだし、素手でまた南へやるのはとてもしのびないから、大さわぎをして色んな人に聞き合せて南から決死隊で生還したという人の準備を聞くことが出来て、今日はどうぞこの包みが間に合うように、と願いながら緑茶を小さいカンにつめたり、かつお節をけずったり、紀《タダシ》さんに頼んで夜光磁石や、天文図やウィスキーの瓶詰などを陸軍の方から買ってもらう手筈をしたりしています、その前に南方ではビタミンBが命の親と聞いて、メタボリンを九〇〇錠送りました、が、あとから聞いたものはみんな体一つで何とかしのがなければならない時、油紙の氷ノウ[#「氷ノウ」に傍点]に入れて体につけていて、役にたてるものばかりで極く実際的に有効です。嬉しくなって、何でも揃えようと頑張っています。ジャングルへ迷い込んだっきりになるものが少くなく、それ等は磁石も天体測量も出来ず、ましてそれを食べるかつ節なんかは持ち合せない気の毒な場合が多数だそうです。隆治さんはああいういい子で、勇気もあり、忍耐も強く、責任感も大きいから、私達とすれば一層万全を期して出来るだけのことは考えもし、揃えても持たせてやりたいと思います。本当に発つ日がわからないから心配です。南のことは誰も不馴れで、何となく手がない気がして、決心ばかりするしかないのだけれど、こちらでこれだけのことがわかって包みが間に合えば、いくらか心ゆかせになるというものです。梅干布などというものもあって、これは島田で作っていただきます。さらし木綿に梅干汁をひたして天日に乾かし、それを小さく切っていざという時しゃぶるのだそうです。成程これは渇きをとめるし、腹にいいしお菜になるし、さすが経験者の考えることです。水に入ってあせって泳ぐなということも強調されていました。そんなこともみんな伝えます。
 私が行けないから小包みばかりがノロノロと道中して行くのかと思うと気がもめますね、いつぞやの栄養読本が半月かかったあのでんでは隆治さんは出発してしまいます。こう書いているうち益※[#二の字点、1−2−22]不安になってきたが土曜日から日、月とかけててっちゃんに行ってもらってはいけないでしょうか。島田から達ちゃんにでも広島まで出てもらって、一緒に面会して品物も渡してもらったら、伝言も出来て、いいと思うけれども、それを頼んではあんまり勝手でしょうか。明日は寿江子がお目にかかれるだろうから、そちらの御意見を伺って、てっちゃんの都合がつくなら、旅費を出して行っていただきたいと思います。本当に小包みさえ早くつくならば。

 こんな心配をして、お七夜さわぎをして、夜番をするのだからアッコオバチャンだって気もたつわ。無理ないでしょう? おまけにね、どてらの心配もあるのよ。辞書をひくなんというやさしいことではなくて田中さんという浅草の女の人がいつになったら我が御亭主の為にポンポコどてらを縫い上げてくるかという心配。何しろ、東京の人はこれまで袷で冬を越しているから綿入着物が珍らしく、縫う人はゴテてそれが恥かしくもない顔をしているから毎年私は恐慌をきたしています、九月から頼んで十一月一杯というのが今日もう三日でしょう、ですものね。
 あなたの十分の一の正確さをそういう人達が持っていてくれたらあなたもどんなに楽でしょう、(何だか吹きだすわね)
 達治さんが去年六月に応召の時は面会が出来なくなりましたが、今度はどうかしら。あんまり多勢動く時はそうなるのですが。
 自分で行けないのは何て歯がゆいでしょう。隆治さんについてはあなたの日頃のお心持もよくわかっているから、私も心をくだきます、どうぞ無事でまた会えるように。お母さんも隆治さんの体の丈夫なことだけを頼りのようにお書きでした。
 私の体は二十四日以来可成りの無理があったから、随分気をつけてマッサージもまた始め、昼間よくねるようにしておりますから御心配下さいますな、何といっても体の大きい五つの子供をだくのは骨よ、体中にしまりのない子なのだから重さは非常なもので、皆、可愛がりながらヘコたれます。毛足袋、かかとが少しゴロつくかしら。風邪をお大切に。

 十二月七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代筆 封書)〕

 金曜日には久し振りで寿江子さんがお目にかかり、元気そうにしていらしたというので安心しました。
 それに隆治さんのことについても指図していただいて有難う。今日(七日)光町と隆治さんと両方から便りがあって、私の速達や薬だけは間に合ったようですからいくらか安心です。たびたび電報して七日に面会にいらっしゃることがわかり、二度目の速達で南方帰りの人の注意してくれたものを申しあげておきましたから、こちらからの小包は七日に間に合わないが、品物だけ揃えて渡すようにお願いしました。こっちも大さわぎで、磁石を探したりウィスキーをみつけたりしましたが、それは又いくらでも用にたつ道がありますから。
 隆治さんの手紙は相変らずあっさりしているけれど、今度は自分でも考えることもあるとみえて、島田のみんなが元気なので安心したということや、顕兄様のことを何卒よろしくとくり返し書かれていて、読む方はおのずから感じることも深う御座います。あとから隊宛に品物を送ることが出来れば、もうしめたもので、それが出来る時は私がやっきになって持たせてやりたいとあせったものも不用となって目出たし目出たしのわけです。忍耐強い子だから根が切れてどうこうということはありませんが、人間の貴重で精緻な体をふっ飛ばす暴力はやり切れません。
 うちでは三日夜寿江子が帰り、五日午後咲枝が腕に赤ん坊を抱いて、湯上りのような顔をして帰宅しました。これで一家の顔が揃い、私は病人に戻ってよいわけですが、泰子を誰がひき受けるかということもきまらず、女中の一人が兄貴にけんかをふっかけさせて引き上げるという次第で、口の先では病人に戻ることを我れも人もやかましく言っているけれど、なかなかです。しかし眼のためだけ考えても、私は度胸をすえて、この疲れを休めなければなりません。今日中には看護婦が来るそうだから、赤ん坊の方だけは一かたつくでしょう。この頃はどこもかしこも修羅場で、多賀ちゃんの手紙に「静かな陽なたでゆっくり静養していらっしゃるでしょう」とあって、大笑いになりました。こうして悪い条件に速力を鈍らされながら荷物をひっ張るようにいくらかずつよくなってゆくのが実際なのでしょう。人手が揃って静かに陽なたぼっこが出来るような全体の世の中なら、言ってみれば私も半盲になるような途方もないことはあり得ないわけで、一事が万事ね。しかしあんまり閉口だから、二月にでもなったら、伊豆の伊東に安い宿屋を聞いたから(ペンさん曰く、「来年になったら上っちゃいそうだ」とのこと)ゆっくり温泉に入りに出かけたいと思います。私の心配するのは眼のことだけよ。こういう風にのそのそしている内に、視神経が萎縮を起したら大変だと思います。もしかしたら年内にもう一遍眼底をみてもらうかも知れません。本は本屋から着きましたろうか。
 毛布のことわかりました。毛布とどてらと一緒にお送りしたいものだと思っています。
 もうあれから一年たち、今年が二十日ばかりで終るとは何ということでしょう。だれしもこの一年はゆっくり息をつく間がなかったでしょうが。
 今日から配給のお米は、とうもろこし入りになり、まるでいり卵をかけてかき交ぜた御飯のようで、玉子をたべることは少いから、玉子好きの私達は錯覚をおこして、おいしいものをみたような気が一寸します。そして味も案外苦にならず、人間の食べるものの範囲の広さを考えさせられます。
 読んでもらっているカロッサの小説が、もう少しで終りです。いろいろと面白く、感じたことも多くありますから、それはいずれお正月に。ああ、でもお正月と言っても二十日前後にそちらへの手紙は出さなければならないから大変だわ。それまでにこの眼がもう一寸安定しなくてはね。
 てっちゃんがこの間あなたの御意見を伺う前、もしいいとおっしゃったらと思って、前もって都合を聞いたらば、心よく引き受けてくれて嬉しゅう御座いました。あなたのお考えを聞いてから、はっきりしたことはきめることにしてあったから、つまり中止になりましたが、それでも忙しい中を躊躇せず行ってもよいと言ってくれたのは、いつに変らぬあの人の気持のよいところでありがたいと思います。毛糸も子供二人分なかなか手に入らず、先ず一人だけ送りました。あとはまた店に出た時みつけて送りましょう。
 今日は百合ちゃん大ヘバリです。だからこれでおやめ。今、食堂に居たところ、先ず大きな大きな海苔まきのような毛布包みの泰子を抱いて寿江子が現われたと思ったら、ホゲーホゲーという声を先立てて、赤ちゃんを抱いたああちゃんが続いて御出現。泣き合せという光景です。御想像がつきますか? 私は二階へ上らざるを得ないでしょう。ざっとこんな始末よ。では風邪をお大事に。
 健之助は健啖《けんたん》之助とつけるべきでありました。ああちゃんをみていると、年中粉ミルクをかきまわしています。
 十二月七日

 十二月七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代筆 コロー筆「ナポリ」の絵はがき)〕

 十二月七日、夕刻電報拝見しました。ああ本当にこういうこともある、とすぐ駒込郵便局へペンさんに電話してもらったところ、この頃ずっと小包みは受付けない由、手紙だけ。それも不定期で、その時になってみなければ、飛ぶか飛ばないかわからないということでした。折角の思いつきも右の始末ですが、今日
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