曰く、おもいやりながら悪口を言っている。
 紺絣をお送りしましょう。

 八月二十一日 (消印八月二十七日)〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代筆 ミレー筆「羊飼」(一)[#「(一)」は縦中横]と山本鼎筆「秋と白馬山」(二)[#「(二)」は縦中横]の絵はがき)〕

 十九日付のお手紙二十一日朝戴きました。ありがとう。国男さんが持って来て、私に手渡してから読んでくれました。スエ子がおききして来た半ズボンのことは、気にかけていて、今日、明日のうちに一応見当をつけたいと思って居ります。どうもお待遠サマ。この頃は前のような布地がないから、ああ云うさっぱりしたちぢみは出来ますまい。自分の手足が利かないからこんな事も気の方ばかりシャツ屋の廻りをうろつく次第です。送って下すった本は今に着くでしょう。ね椅子は私も図を見た事がありましたが、今プランしているのはもっと私の生活に即した便利さが有るもので、何とかして物にしたいと思います。この頃は事務用の廻転椅子の軸が折れて、落ちる人がよく有るそうで、私が椅子ごと平ったくならないように心配しているので、実現がノビノビになります。
(スエ子さんが、手紙を上げたいそうですが、余り筆マメでないので、この「ペン代用」をもって、いささか良心を慰めるのだそうです。)(一)[#「(一)」は縦中横]

 葉書に細い字をつめる技術に就て御同情下すって、書き手は光栄だと思いますが、これにも速戦即決的事情が有って、絵ハガキだとそれを突きつけて悲鳴を一寸上げて書かせることが、割合やりやすいからです。まして、只今この二枚目を書き始める時、スエコ口走って曰「細く書くのが道楽になっちゃった」と。ですから当分この細字のお習字は続くでしょう。二階の部屋は今日迄空家で私は下の太郎達のねていた処にいます。運んで来てねかすに都合の良かったことと、一番涼しい事で、ここにねています。従って、ベッドはどうなっていることやら。昨日、立上って、三・四歩位歩いてみましたが、目は役に立たないけれど、目まいはしないで、今日はこのハガキを終ったら、敷蒲団を取代えて、ついでに又少し膝のバネの訓練を致します。毎日お医者さんが見えて、注射をしています。一度一寸止めたら暑かった日とかちあって、胸が苦しかったので、又ずっと続けています。太郎は今日から学校。この頃は、自転車で相当に乗り回して居ります。アアチャンは少し長めの水瓜位の形で、大変に堂々たるものです。スエコはザンバラ髪で、ベートーヴェンが生き変った如き有さまです。あんまり、細い字を書こうとする時は、こちらから見ると、歯の間から少し舌が出そうな風です。ヤス子は、相変らず。国男サンも。今日は、爽かですが、又いくらか暑いからどうぞくれぐれもお大事に。(二)[#「(二)」は縦中横]

 八月二十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代筆 封書)〕

 あんまり葉書がつづきましたから、今日は手紙に致しましょう。人の気持は面白くて、違った筆で書かれるのを封すると、何だかそぐわない気がして居ましたが、寿江子なら封しても息づまるような想いもしなそうです。今日は日曜で幾分かのんびり。太郎も休みで小鳥を眺めてたんのうしている父さんのそばにくっ付いている様子です。昨夜ねる時、太郎が父さんに「お父ちゃま、いつになったら一緒にねてくれる?」と隣りの部屋で訊いているのを聞いて、大変可愛く思いました。太郎は今、学校が始まったから、下の部屋に小ちゃい叔母ちゃんとねんねで、親達は泰子を連れて、二階へ、別々ですから。私が二階の上り下り出来るのはいつのことでしょう。太郎はそれまで待たなければならないかも知れません。中西さんと云う看護婦さんが居ます。一日の行事は、朝晩体を拭くことや、間でちょいちょい薬を飲むことや、チクリと痛い想いをすることや、スエコに命の親的クダを巻かれること、及び風向きの良い時は、こうやって親切にペン代りになって貰うこと等です。スエコは本を読むのが上手くて、この間うち「シンプル」を読んでもらって居ますが、スエコが読むのと、別の人がよむのとでは、まるきり物が違ったようで、今度初めて、読方の技術の大切さを痛感しています。あなたは、読むことがお上手かしら? 上手な人は、自分を読んでいる文章の内へ決してまぎれ込ませないで、よんでいる物を独立してくっきりと浮き立たせます。(このウキタタセます、と云うようなのは、云うのにだいぶ口元が骨が折れます。何しろスエコに「この狸」と云ったら「タルキ」にきこえたそうで以来、「何だタルキのくせに」と云う流行《はや》り言葉が出来ている次第です。私がいくらかすらりとして、床の上に坐って、ロレツの怪しいタンカを切って、チラチラして物も見えない二つの目を、いやに大きく見える眼鏡の内から光らかしている姿を御想像下さい。大変見馴れないでしょう。自分にも良くなれる事の出来ない自分です。)
 下手な読手は、変にぼってりとした自分の肉付けを文章のまわりにくっつけるので、意味が解りにくいばかりか、文章の味などと云うものが全く消えます。もし長く見えないと、私にとって読手と云う者が書手同様必要ですが(スエコ曰く「オオコワイ」)その人の選択と云うものは、性質の良さの他に、そう云う特別な要求点があるわけですから、なかなか見付けるのに困難しましょう。口述の簡単なのでも人の性質によっては、抵抗があってやりにくいものです。何しろ、そうそうスエコを乱用も出来ませんから。既に御らんの通り、オオコワイと云われてみればね。
「インディラへの手紙」の著者は、また現代史を書きつづけるような生活ぶりらしい様子ですが、彼の国の今日の歴史は実に紛糾していて、沢山の犠牲が行われている模様です。なかなか現代史のページは、立体的ですから。過去の歴史のどの時代にも無い内容です。
「シンプル」は、十九世紀始めのイギリス海軍が、どんなに野蛮で粗野な一面を持っていたか、フランスと対抗していたこの時代に、イギリスの軍艦の水夫が、どんな動物的な狩り立てで、強制的に強奪されたかが割合正しい率直さで語られているし、そう云う背景で理解する人には、興味がありますが、さもないといかにも十九世紀の始めらしい流れののろい描写で、退屈するようです。家の先生も上手な読手に拘わらず、むしろペン代用となる方をより興味あることとする傾向があります。(私にはよく見えないけれど、字がだんだん速記的になって来たそうですが、本当?)外交的ヒントと云うものはこう云う形で与えられ、決していきなり「もう手がだるい」とは云わないものと見えますね。(これは内緒話ですが、私はいつか、目をしかと見開いて、何枚書いても速記的にはならない字で、スエコがこっそりのたくらしている現場をつき止めたいものだと思います。)
 ロマン・ロランの「魅せられた魂」は完訳され、一巻と四巻と云う風にとびとびに読みましたが、「ジャン・クリストフ」はお読みになったでしょう? あれとくらべてこのアンネットと云う女主人公をもった長篇は、女である私達には、非常に興味深い観察が促されて、ずっと読んだらば、さぞ面白い感想がまとまるだろうと思います。生活に一貫した自立性を求めて行くアンネットの理性と情緒的な物との見かたが、この作品では、一方を人間的高度の知的な物として、他の一つを意識下の血の力として見ているような点が、何か私達の生活の現実が、到達している生活の実際よりも、歴史的に一段階前のもののように思われます。そして、この事は書かれた時代が二十年程前だと云うばかりでなく、男の作家が女主人公を誠実な意図から向上的な精神の面で描き出そうとした場合、その善意によってむしろ、やや観念化された結果だとも思えます。これも面白いところで、矢張り強い思索力と云うものは何か所謂「理性」だけが分担するように思われて、それは即「男」と云う名によって現わされた人間の高い精神の働き、と云う風に映り、女の本能的なものがそれに対置されるのでしょう。この小説は大変に面白いので、なかなか声を出して読んでもらうのでは物足りなく、読手はよみたがり、目下協定なり立ちません。きりがないから、宛名の余白のあるうちに、これでおしまい。
[#手書きで大きく]顯治様 百合子
(手さぐりの字はいかがですか?)

 八月二十七日 (消印)〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代筆 ドガ筆「踊子」の絵はがき)〕

 今日は、涼しいこの頃にしては暑い日でしたがいかがでしたか、御注文の半ズボン、今日手に入れて、お送り致します。大きさはたっぷりしていると思いますが出来上り品ですから、長さは普通です。この生地一色しか有りませんが洗ってクタクタにならなければ幸せです。やがて、一ヵ月になろうとしていて、今夜は、月影が珍らしいので助けてもらって、久し振りで、夜の庭を暫く眺め、よい心持でした。ひるまはキラキラして、簾ごしにも庭は見られないので。目は字が見られる迄には、よほどの時がかかる様子ですし、大体四十二度以上の熱を患った者は大抵そのままになるのが多い例なので、そう云う病気の本でも神経障碍の実例は余り記述されていないそうですから、いよいよもって、運の強かったことを有難いと思わなければならないわけでしょう。もう少し、体全体が恢復したら、目の方の検査もして、恐らく、乱視の度が進んだでしょうから、それをはっきりさせます。目の宿題は、生理的、及び精神的宿題です。庭には畠が出来ていて、お芋(これはやや可)大根(これは全く未知数)赤蕪(肥って良)などが出来ています。鳩のヒナは三羽居ます。夜のしらしら明けから鳴きます。

 八月二十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代筆 封書)〕

 八月二十七日
 この三、四日なかなかきびしい残暑なのでいかがかと思って居りました。暫くお手紙がなかったから。十九日の日付のを出してみて眺めていたら、二十四日付のを持って来てくれました。夜明けは涼しくなったとお気付きになるのは、余り夜良くお眠りにならないからでしょうか。どうぞくれぐれもお大切に。
 今年は私にとって、夏が年一杯つづいているような印象です。実に長い。秋らしい様子になって来て、ゆうべ等は月の光が射しているのに、雨が降る音がしたりして虫の音もしますが、庭をひるまカンカン照りつける日光には辟易です。簾を下げてマクマクしています。目は極めてのろのろと幾分ずつ恢復していて、お手紙の字なども、固い苦しい線の入り乱れたものから、昨日今日は字らしい柔かみを持った物となってうつるようになりました。用心して無理に読まないようにしています。字画はまだボヤボヤです。面白いことに、自分の手の先の爪がなかなか見にくくて鏡をやっとこの頃苦しくなく見られるようになりました。
 ビタミンのことありがとう。目下私の療法はビタミンの補給と肝臓の機能の補助で、終始一貫していて、ビタミンもBを注射してA・Dを飲んでいます。目の為にもBは大変に有効だそうです。咲枝さんが身重なので、お乳が出るために矢張り同じ注射をして居ります。こちらはすぐ効力発生ですが、スエコさんが疲れて矢張り同じものを注射し始めましたが、こちらは何しろ持病の糖尿でさんざん苦労を重ねて薬に対してもいささか懐疑的なので自分からすぐに効力は認めませんが、はたから見ればいくらかききめが見えています。今も太郎が学校から帰って来て食堂でウェーウェーとやっていて、小チャイ叔母ちゃんは「お土蔵《くら》へ入れて来るから一寸待って」と云いましたが、やがて「面倒くさい」と云って中止しました。どう云うビタミンがこう云う腰抜け小僧にきくでしょうか。
 日本評論社の本は承知致しました。本当にこれからはますます主婦が知って置かなければならない知識ですから必ず島田へも送ります。先達て島田からお見舞の手紙とお金とを戴きました。それでも家で養生していられるので、お母さんもいくらか御安心下さっています。
 ビタスのことはすぐ取はからいます。
 メリメ全集は葉書にも書いたように、第一巻が欠本ですが、第二巻は、ではお送りしましょう。バ
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