銘が新鮮でいつか余程前にジャムの「夜の歌」を読んでもらって、その感銘が私のなかへ「祝い日」の出来るようなリズムをかき立てましたが、おなじようなことが小説の方でおこるようです。これも嬉しいことの一つ。この小説を読んで何となくバルザックを思い出しました。この二人の作家の間にある違いは多くの要因を持っていますが、一つは明らかに純正な人間の叡智の敗北の悲劇を自覚したものと、バルザックのようにそれは自覚しなかった作家との違いだと思います。文学の精神の相異がここに何とはっきり出ているでしょう。カロッサの少くとも過去の小説には悲劇のなかで自分の精神をとりまとめ、希望をとり失なわず生きようとする健《けな》げな心が脈うっています。日本文学との対比を考えます。「茂吉ノート」で「自然はコスモスであることを失ってはいない」と言った人は、それでも、色々殊勝な心がけがあるらしいことよ。文学は文学であることを忘られない作家の一人であるらしくみえます。ユーゴーその他の作品はずっと昔に読んだけれど、今読めばまた今の判断があるでしょう。けれども、今の私は当分現代に近い小説をドシドシ読んでもらって、小説ひでりを医《いや》し
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