哀れです。親が無責任だなどと書いてきていました。自分を生んだということについてよ。心持がああいう状態だとそういう消極な考え方にきっと陥るのです。富雄さんには小包を送りました。うちの廊下の衣紋竿には国男さんの冬のトンビがかかっていて、いつの夜中にでもそれ! と言って出掛けられるようにしてありますが、赤ちゃんは悠々としています。お乳は出そうです。どんな骨折りをしても、今年はお乳がなければなりません。母子の為に。
ヴォラールの「セザンヌ伝」を読んでもらっていると、一八九二、三年頃「落選画家の展覧会」を開いた後でも、セザンヌがどんな扱いを受けていたか、ということがわかって驚かれます。絵具商のタンギイ爺さんというのがセザンヌ一派を熱愛して、たまにセザンヌの絵を求めてくる人があると、画室へ自分が案内して選ばせたのだそうですが、その画室には、一枚のキャンバスに小さいモティブの絵がいくつか別々に描かれていて、貧しい愛好家は一ルイ位出して林檎《りんご》三つを買ってくる、というような風だったそうです。タンギイ爺さんが鋏を持って行くのよ。そしてそれだけ切ってくれるのですって。そういう風な売手と買手のいきさ
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