ちゃんのキィーキィ声がかき消される始末で、私はその音で動悸が早くなる程厭です。私がかんしゃくを起すから温和なこの人まで神経をたてて、みているとこんなに字をまちがえているでしょう! ですから万端お察し下さい。あなたが乾いた単調さとお戦いになる程度にここでは音やごちゃごちゃとの組打がひどくて、ここの生活に一寸もなれない内、いきなりこちらはヘバってうずまきに巻き込まれたから大閉口の有様です(愚痴をこぼしてごめんなさい、こういう愚痴もたまにはこぼしたいものよ)世界史瞥見の続きというのは、「娘への手紙」の続きでしょうか。それならばおあきになった時、こちらへ送って頂きたいと思います。前編はやはりお友達からのものでしょうか。やはりお返ししなければならないものでしょうか。若しそうならば続編を読んでもらってから『元禄快挙録』と他の小説と一緒にお返し致しますが。青年書房版の『世界外交史』ヴェー・ペー・ポチョームキン監修第一巻を買いました。第二巻はまだ出ませんが、第一巻は一九四一年版で十六世紀から「ジャコペン党外交の組織」までです。若し興味がおありになるようならすぐ送ります。私の方も読むのに我が眼が役にたたない為、まるで氷砂糖でも歯なしがしゃぶるように大したものでもないオースティンの小説が、シンプル君以後の読み物で、然も前途遼遠という始末ですから。三枚になったがお許し下さい。

 九月十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代筆 封書)〕

 九月十八日
 十六日附のお手紙、十七日頂きました。六日に書きとってもらった手紙が九日に投函されていたということは、如何にもここの家での私の生活の特徴と不如意の形をまざまざと示していて、中々感じが深いことでした。私は知らないのですから。ハンドバッグにでも入って三日がたったのね。マッサージはこの間の手紙で申し上げたように、私が夢中の間に体中の筋肉が痙攣のように緊張してひどい力が入って、すっかりしこりになっているのをそろそろなでてほごして、そちらの方からも神経の鎮静をしようというので色々研究して刺激が強くないように考えてやって居りますから御安心下さい。十七日の夜予定通り二人のお医者様が落合って、眼の検査をして下さいました。ビタミンBの欠乏による軸性視神経炎というもので、眼底に致命的な故障はありませんそうです。これは本当に嬉しいことです。盲目になり切ることはないというわけですから。今みえないのは、まだ眼底に充血が残っていて、細胞の間に漿液のようなものがしみ出しているのだそうで、それを吸収させるために新しくヨードカリを主にした薬を段々量を増しながら飲んでみることになりました。Bの注射は元通りです。少しよくなるまでにも数ヵ月はかかる見込みだそうです。
 一昨日お医者が来て、今の私の神経の疲れ工合、恢復の調子からみて少くとも一年は静養しなければならないと始めてはっきり言われました。いきなりそういうと私が失望すると思っていらしたのでしょうね。たびたび会って私が長いのを自分でも充分わかってきていることが知れて、始めて口に出されたのでしょう。眼も全体がよくなればよいとわかれば悠々たるものです。大事な手紙が三日宙に迷ってもそれは我慢も致しましょう。何しろこの不随状態の人々の中で生活していれば。シャボン昨日お送りしました。『微生物を追う人々』と『支那イソップ物語』二三日内にお送り致します。イソップはどうもみつからないらしいのです。今も探してもらいましたけれど、二階に上れないものだから。それに引越をしてゴタついたままのところを更にゴタついたもので。
 島田へ送った『栄養読本』のことは、今葉書で聞き合せました。十二日にはきっと着いていたと思いますが、いつぞやのお手紙にあった通り病気にならない人達は、「ハハアこんな本が来たわい、友子さん読んでおおき」「ハイ」という位のことで、それがどんな大きい意味を含んでいるかなどということは、あまり頓着しないのでしょう。人間の健全さと愚さとが、こういう場合にも私たちの生活にない合されていて、面白いものです。私だって丈夫ならやっぱりその口ですから。
 小説の技術のことは、大変興味ある問題で、芥川龍之介はスタイルが文学を古典として残すか否かに決定的な力を持っていると言ったとか言って、野上彌生子さんは専らスタイルの完成を心がけられるようです。このことはもっとどっさりのおしゃべりを誘い出しますが、三枚以上続けるなんていうことは、あんまりこわいから。これでおやめ、改めてまた。

 九月二十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代筆 田辺至筆「秋の戦場ヶ原」(一)[#「(一)」は縦中横]と有島生馬筆「霧嶋連山遠望」(二)[#「(二)」は縦中横]の絵はがき)〕

 (一)[#「(一)」は縦中横]二十日。ヨード・
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