から貯金して今日の基礎を作ったというようなことを平気で書く人だから、色々のことが眉つばものです。この人が玄米食のことなんか言うと台所にはきっと小さいモーターの臼がありでもするのだろうと、自からカンが廻るのが自然です。今、私の受けている特配は、牛乳二合のところが一合、砂糖が〇・八斤、八百屋もの少々。バタ等ですが、八百屋が十一月から一日一人二十五匁ずつの野菜を配給することに決りました。二十五匁というのは小さいジャガイモ二個です。大きい胡瓜《きゅうり》は三十五匁もあり、お薯《いも》などは大きいと四十匁だから、こういうものは一日一本はあたらないわけです。魚は二十五匁が一日置きの予定のところ三日から五日置き。町会では八百屋が一日一人十五匁と言ったのを二十五匁に増したのだそうですが、一日置き、又は二日三日も飛ぶかも知れずなかなか台所はキチキチです。
 オリザビトンは今後は発売されない[#「されない」に傍点]ということは、もう前便でおわかりになったでしょうか。代りの薬として、ユガマンと言っていたのはどうも聞きまちがえらしくて、二三日中にペンさんが近藤へ自分で行ってはっきり調べてきてくれます。三〇〇錠で十一円だと定価まで言ったのに、今度は人が行って一日の分量を聞いたらば、誰一人その薬を知らず、本までみてないというのは実に奇妙です。電話ではユガマンと聞えるし、こちらでそういうと向うにも正しい名の発音として聞えるのでしょうが、妙ねえ。自分で用事がたせないと狐につままれたようなことがあります。電話は何故だか苦しくてかけられません。
 足袋カバーは修繕出来次第送ります。ジャケツは今年はごましお色のですが、灰色のは私の防空着に拝借致します。毛布のことは私としては泣きの涙よ。六月に寿江子に度々手紙でそちらの毛布を洗濯しないでよいかどうか念を押したのに、いいとおっしゃったということでした。今は世の中にシャボンが消えて、御用聞きがない時代だのに洗濯屋だけは争って二軒も三軒も入ってきて、持って行ったものは一ヵ月もかかって出来上る有様です。これからの毛布洗濯はかわかないし、きっと一ヵ月では寄越さないでしょう。寒い目を御覧になるでしょう。若しどうでもしなければならなければ、二枚続き一枚だけはいつかの虫食いを入れて下げて頂き、やりくりつくかも知れません。全くこれからの毛布洗いは苦労の種ね。
 何しろ十六日
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