すものね。それだけがやがて、今日の生活を価値づけるのですものね。そこをはっきりつかまえて、一心不乱であればよいのだと思うの。ひとが、こう生活すべきだとつけまわして、自分の生活を空虚にしてはいられませんから。謙遜に、たしかに自分の道を怠らずゆくことというのは、自身の充実への戒心のわけです。それにね、あのダムを必要によってこわしてしまったというニュース[自注7]も、もし事実なら、やはり、いかに生活はあるべきかという意味ふかい教訓だと感じました。みんなはどんなにあれをつくることを愛したでしょう、どんなに模型をクラブにおき、それについて詩をつくり、小説をかいたでしょう。建設の一つの塔のように響いていたものを、出来上ってやっとまだ三四年の今、それが必要なら自分たちでこわすということには再び又それをこしらえるというつよい確信がこもっていて、こわすことに却って勇気がこもっています。生活の勇気とはそういうものなのね。そうだとしたら、自分がもちつづけた生活の形を変えるということを決心しにくいというのは、何と滑稽な意気地のないことでしょう。様々の変化に耐えないというわけなのだろうか? そう自分に向ってきいて見ると、私の中には、そんなに自在さの失われている筈はないというものがあって、それで、私は明るくされるのよ。
 隆治さんのことは、私は次のような点から感服するのよ。酒をのむのまぬ、煙草を吸う吸わぬ、そのこと自体は吸ったからわるいという考えかたでは余りかたくるしいけれど、そういうものなしに様々の艱難を凌ぎとおしてきたという、そういう素面《しらふ》でいる人間の勇気というものを私は感服するの。達ちゃんの話では、迚ももてん、というのですから。そしてまわりは皆やる。自分がやらない。いつも正気でいる。そして酒の勢をかりてやることを見て来ているし、やらせられて来ている。そこに何か痛切なものがあります。私はそこを思うのよ。隆ちゃんがその正気の心で経験して来たことを思うのです。例えばヘミングウェイは大変男らしい作家です、爽快な男です。私は随分気に入ったところがあるのだけれど、この人の小説には、酒とたべものが何と出て来るでしょう、官能の性質が推察されるようです。どうなってゆくだろう、この先、という心持の中にはこの作家のそういう面もやはり一つの条件となっているようなもので、隆ちゃんのしらふについて深く考えるわけです。
 さて、十三日のお手紙はいかにも用向のお手紙ね。これは竹の垣根のすこし古びたののようよ。パラリパラリと大きい字があって、間から風がとおしているようよ。(慾ばり※[#疑問符感嘆符、1−8−77])
 さあ、いよいよ落付いて、仕事をすすめなくてはね。私は実にうまく引越して、ギリギリの一文なしよ。だからあなたに年の末までをお送りしておいたのはなかなかやりくり上手だったということになります。そのうちには又ポツリポツリと雨だれを小桶にうけておきますから。
 夢の話大笑いね、でもなかなか哀れふかいところもあるとお思いにならないこと? あなたは本やに何とか云っておくれたことを話していて下さるのよ。こうやって、云って貰うのは何て楽だろうとほっこりしてわきにいるの。大変たのみになる心持だったことよ。実際だったら、あなたはそんなとき云って下さる? 余り心理的で、陽気にふき出してしまいました。こんなのだって、かりに私が本やに話したりすると、本やは本気にしないわきっと。余りつぼにはまりすぎていて。人間の心もちって妙ね。では今夜はこれで終り。咳すこし出ますが大丈夫です。協力は笑草ほど増刷いたしました。

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[自注7]あのダムを必要によってこわしてしまったというニュース――ソヴェト同盟の労働者は、一九四一年の秋ナチス軍の手から守るためにドニエプルの大ダムを自ら破壊した。
[#ここで字下げ終わり]

 九月二十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 九月二十一日  第四十信
 きょうは日曜日で日蝕が〇時四十六分一秒からはじまるというので、国ちゃんがガラスをローソクの煙で黒くして太郎も私もそこからのぞきました。真赤な太陽の右下のところから欠けはじめました。
 井戸がえをはじめていて、七八人の人が働いていますが、繩をひっぱる女も三人ほど交っています。あの昔きいた井戸がえの一種独特なかけ声をやはり今でもやるのね。職業の声なのね。
 市内ではこの頃万一の用心に井戸掘や井戸さらえがあっちこっちで行われて、職人が不足していて、市の近郊の職人がひっぱりだこの由です。井戸をつかえるようにすることや、水洗の厠の外に普通のをこしらえることだの、様々の仕事です。太郎は生れて初めて井戸がえを見て大変珍しそうです。僕手つだっていいかしら。あのつなひっぱると、つな引のときつよくなるんだネなどとやって居ります。
 きのうはてっちゃん初のお客によってくれました。私も段々馴れはじめました。いろいろなことが段々気にしないでやれるようになって来て(日常の用事よ。たとえば雨戸しめるということにしろ。馴れないと、あすこしめ忘れたという風で)これで、私の下宿出来るところとしたら最も自由のきくところであるということがわかって来て、いろんなことにはこだわらないで自分は自分としてやってゆくことを覚えそうですから御安心下さい。
 初めのうち、国さん風邪で事務所休んでいて、起きるとから寝るまでラジオなので本当に閉口しましたが。私はよくよくラジオぎらいなのよ。あの雑音は実にいやで、荷風のラジオぎらいもわからなくない位。だからどうしようと思いましたが。きのうきょうは静よ。助ります。その代り寿江子のピアノね。
 女中さんが一人留守で、大いそがしよ。やす子が全然弱いから完全に一人の手をとります。
 いかが? こんなに日常の暮しは手紙の中に照りかえします、面白いことねえ。夜こわいというような思いをしないでねられるのは一徳です、大変神経に薬でしょうねえ。こういう目に見えない休みがあるのだから、女人夫をやった疲れが直って調子がわかったら大いにがんばらなくてはね。起きぬけにラジオきかなければならないのが辛くて、これだけはいやです、人手があれば本当にせめて朝食だけは雑音ぬきでたべたいと思います、今に何とか工夫するわ、つめてものをかき出したら。もとだとお茶とパンですませたのに、今はそれがききませんからね。自分だけ自分で運んで朝は別にするかもしれないわ。
 きのう二十日でしたが、電報どうだったかしら。適当なときに届きましたろうか。森長さんには三通のことともう一つの用件をよくつたえました。話の意味はよく分ったそうでした。何にもそういうことは今話に出ていないそうです。
 達ちゃんのこと、実現したら余り見つけものすぎる、という位の感じですね。専門がああいうのだからそういうことは殆ど不思議だと紀も云っていました。不思議にしろ、そういう不思議は大歓迎ね。
 山崎のおじさんが御上京で三軒茶屋の家にいられます。ハガキが来て(目白宛に)来たいとおっしゃるから、いつも、あっちからばかり来させてわるいから今度は私の方から訪ねることにしました。金曜日そちらのかえりにずっとまわりましょう。いつかは五年前、目白へ引越したばかりのとき来て下すったし、今度はこっちへ来たばかりへ来て下さるし、奇妙なめぐり合わせね。田舎ではすっかり呆けたようにしていらしたけれど東京ではいかがでしょう。やはり東京が気が楽なのね。大した家柄のおよめさんなんておじさんには年とともに苦手になる一方なのでしょう。まして息子たちは、皆負傷してかえって来ているのだし。美味しい鳥肉を買ってもって上りましょうとお約束してあります。目白の鶏屋がよいから。前から電話しておいて、よってもって行きましょう。私はあの山崎のおじさんという方には親切にしてあげたいところを感じます。年をとっていらして、それでいて子供のようなところ世智にたけないところがあってね。およめさんたちはそういうところを意気地ないと見るのもわかりますが。あっちを訪ねるのにいい機会でしょう、こっちもいくらか困るのですし。つづき合いから云って、私一人食事のお対手するのは妙で、やはり家のお客様とすべきなのに、旦那さんはそういうつき合いはきらいですからね。おっくうがるからね。すこしゆっくり滞在なさるのなら又そのうちにおよびして、二階で何かやって国男たちもお客にしてしまいましょう。そうすればいいでしょう。私が主婦役一人でね。そういうところのやりかたについてもいろいろとのみこめて来ました。二階をすっかりつかっているのはそういうとき便利です。
 連日の女人足の疲れ、相当ね。単純なつかれではありますが。疲れて風邪気でもあるから、本当は私は少しクンクンになりたいところです。クンクンになって、あの美味しくとけるようなボンボンをたべたいと思います。
 あんなボンボン類なしねえ。美味しがるのを御覧になれば、あなただって思わずもっとたべさせたいとお思いになるのも無理がない次第でしょう。この節はなかなか手に入りませんでした。だからもし見つけたら私は一つや二つ夢中と思うわ。味なんか分らないでしょう。半ダースもたべてたべて、ああやっとおいしさがしみとおったわというのでは恐慌かしら。恐慌的ということのなかにも愛嬌のあることだのうれしいことだの恐縮なことだのがあったりするわけなのですから、ユリのボンボン好きぐらい、ねえ。理の当然ではないでしょうか。それはみんなユリが丈夫で、いい味覚と特別に高い趣味とをもっているということにほかならないのですものね。
 ボンボン貪慾についてあなたはすこし辛棒づよくきいて下さらなくてはならないわけもありそうです。だって、知っていらっしゃること? あなたよ、初めてあの蜜入りを私におたべさせになったのは。人間の味うものの範囲も考えてみればひろいと感服いたします。
 私は今自分のまわりに浮んで来るいろいろの情景の中にいて、何かおとなしい小さい声で物を云っていたいのに、ピアノは何てせわしくうるさく鳴っていることでしょう。あなたもうるさくて? 今何にもあんなに鳴るものなんか欲しくないのに。ねえ。
 困った心持になって凝っとしていたら、ふっとやんだわ。暫くこうしていて間もなくねてしまおうと思うの。
 子供は、早くあしたになればいいと思うとき、早くねてしっかり目をつぶって、あしたが早く来るようにするでしょう。自分のいたい世界だけになるようにするでしょう。それとおんなじよ。

 九月二十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 九月二十二日  第四十一信
 けさはがっかりいたしました、と云ってもうかつなのは私だったのですけれど。火曜日はお休みと気がついたのが九時なのよ。さあ、とあわてて仕度して出かけたってついたのは十一時すこし前。二百十何番というのなの。午後二時にはお客の約束あり。仕方がないから、切り花をいれてかえりました。ときならぬ花を、変にお思いになったでしょう。ユリがてけてけあすこ迄行っての上のおくりものと、お察し下すったでしょうか。
 それから毛布送りました。お寒くはなかったでしょうか、この間うち。二枚つづきの毛布と麻のかけぶとんだけでは必しもぬくぬくとした寝心地ではなかったでしょう。気にかかっていて、やっとお送りしました。上手に洗濯して来て大変柔くフクフクして居ります、但し毛のあるところは、の話よ。いくらか枯れた芝生めいた毛布で、地《ジ》が出ていても今のスフよりは何層倍かましでしょう。
 きのうの手紙の終りに一寸かいていたように、きょうは薬とりかたがただったのに。
「ジョンソン博士伝」を(上巻)よみ終りましたが、大変偉大と思われているジョンソンがやはり十八世紀年代という時代の特色は十分もっていて、その有名な警抜さというものもつまり現代にショウがいると同じ本質のものですね。つまり常識です、ややつよい匂の常識です。金銭とか社会的地位とかいうものに対する見解も、当時のイギリスの社会らしく、その差別の適当であることを認
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