こから生活費が来ているのよ。(少々ですが)
娘さんは掘り出しもの的逸品です、絵をやっています。ずっと高等小学を出てから働いていた人。おっかさんというのは、とびの者の親方の娘で、やはり辛苦した人で、それは気質はいいのよ、勿論、そういう世の中で育った人で其れらしいものの考えかたはあるけれど。江戸っ子だし。
経済的な点で、私の条件が本が出てゆけばやってゆけるの、その人たちと。私が下宿した形で。いいでしょう? ここで。もしそうしたらいろいろの意味から環境としてずっと林町よりましです、生活のつつましさ、情愛や。いろいろ。いやさはどうせあるにしろ、それもその性質がちがうから。
私は生活の中に情愛のなさにあきていて、(たとえば、きのう用で出かけてかえって見たら、その娘さんが机の上へ花を新しくさして行ってくれてあるのよ。そんなことをこんなにうれしく心が和らげられて感じる、そういう乾きあがって胸のわるくなるような毎日だから。派出婦って、そうね。)そんなおばあさんや娘と暮してみたいのよ。同じ気がねなら、そういう人にした方がさっぱりしていると感じるの。食事なんかそのうちの程度を基本にして(大変粗末です)そして特別は特別として、やればいいでしょうということも話したの。そして、大笑いしたのよ、どうも私の心持はこうやって粘って粘って見た結果、荷物は林町へやっても身柄は自分のところへとっておく方が自然に思える、と。たとえばいろいろ倹約にしろ、林町ではその家との関係その他で、つつましいながら精一杯のよろこびを獲てゆこうとするいいところがなくて、しわさとして現れるのよ。何故なら、自分だけ一人でこっそりつかう金についてはひとに口を入れさせないで、うち[#「うち」に傍点]に使う金、働くもののために使う金、それをやかましく云うでしょう。そうすると、しわいという感じが先で、私は腹立たしく思うのよ。
そういう経済上の秘密主義に立って、こせこせ云われる空気、大きい家のあちこちにボーとした電燈しかつけておかないで、夜は薄明りの中を歩く心持、どれも私の流儀(人生への)ではないのです。
自分がそこで過した子供時代の生活がまざまざとのこっているその場処が、現在そうであるということは感じなしでいられなくて、その点では芥川の「庭」という小説ね、あれをよく思い出します。あれを思い出す、そのことに、もう一つのトーンがあるわ、生活感の。私にそれがいいことでしょうか。決して決して、そうではない。心の声がそう叫びます。その叫びは本当よ。しかるが故に、林町へ送られるのは私でなくて荷物であるべしということにもなるわけです。荷物がいつかかびたりくさったりしたって、それはもの[#「もの」に傍点]だわ、生きている私ではないわ。生きている私は飽くまで生きていなければいけないわ。本当に仕事をする生活、勉強し、精励な生活、それは、自分にこれでいいのだと納得出来ない生活からは生れず、私はいつもそうです。これまでだって。親のいた頃だって林町にいきりになれなかったのですもの。家の件は、こういう工合に推移して来て居ります。何とか、こっちの方向で解決したいと思います、そして、あなたが「朝の風」についてあの女主人公が部屋借りにうつらなかったことを必然がないと云っていらした、そのことを思い当ります。そうなって行って、それではじめてわかるという道があるものなのね。では明日。
珍しくきょうはGペンでかいていて、その方が万年筆よりなだらかでした。
六月十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
六月十八日 第二十九信
大笑いね、私は再び、というよりは寧ろ忽々に舞い戻って目白のテーブルでこれをかいて居ります。
昨夜、おばあちゃんが八時三十四分でかえり、それを上野へ送って行って、きのうから三人となりました。家が見つかる迄この調子でやって、もう五日か一週間したら石川さんという若いすこしはましな派出婦が来る予定です。この子は、ものをかく女のひとの暮しも知っているからこの間うちのひとのようにおそろしいことはないわ。でも、その恐ろしい人さえ、大変いいうちと云って会に好評をしているので、あのひとさえそういうならと、案外石川さんを予約出来たりする様子です、虎穴に入らずんば、のところがあっておかしいわね。
さて、先週の火曜からの一週間は、私にとって輾転反側の一週間でした。そして、いろいろと発見をいたしました。
物をかくひとの生活の空気というものは、学生なら学生が、勉強してゆくのとは全くちがったものであることも明瞭になりました。体の毛穴があるように私たちには精神の毛穴があるのね。所謂勉強は毛穴がふさがってもやれるのね。書いてゆくこと、何かつくり出してゆくことはこの毛穴のうちと外との流通、呼吸がちゃんとしないと迚も溌溂とゆかないものであることが生理的にわかって、林町では、私の毛穴はぬりごめよ。精神のそよぎというべきものがどこにもない一家の空気、どう生きて行こうという勢のはずみのどこにもない家、それは全く他人であって、私が二階がりをしているのなら其きりでしょうが、そうでないのですもの、本当に苦しい焦だたしい工合でした。私は何とか落付こうと努力したから猶更ね。
私たちの生活というものは、もうちゃんとあるのよ。それは、そうどこにでもはめこんで、はめ合わせのつくような鈍い角のものではなくなって来ているのね。私たちの芸術的な生活の感覚は、酸素がたっぷりいる種類のものなのだと見えます。
こうやって、それ人がいない、やれこうだと、バタバタやりながらこうやってやりくりしてゆくのが、つまるところ生活の一番能率的なやりかたらしいわ。もっと縮めればどこかの二階へ動くという方向しかないでしょう。
林町なんかで、キューキューつめた仕事出来るものではないということが余りわかってびっくりして居ります。それを今まで知らなかったということで、よ。うちのことがうるさいときには、却って宿屋がいいということもわかります。自分の世界がはっきりしていて、こっちから求めなければ乱されることはありませんから。宿屋へかきにゆくということは所謂家庭の道具立てのそろった人にはさけがたいでしょうね。妻もい、年よりもい、子供たちもいる、という場合、書こうとする世界へ本当に没頭し切るのは、そういう空気をつくらなくてはね。自分の方法としてもこの二つしかないことがよくわかりました。
今度の仕事はうちでやることにきめて居りますが、今に何か別の仕事のとき小説でもかくとき、私はどこかへ出かけたいわというかもしれません。一週間に一度ずつかえりながら。そのときになると又何とかわるか知れないが、マア今のところはそうかいときいておいて頂戴。
三吾さんは朝八時半ごろ出かけて、五時半ごろかえります、うちにいる間は私が在宅ならキーキーはやらない風です。本人がそれほど熱心な勉強家でないし、且つ今のところは生活も例外ですから。
奥さんは浩《ひろ》子さんと申します。やはり同じ土地のひとで、全然の媒酌です。家じゅうの人が皆実にいい人たちだもんだからお嫁さんも安心しているのよ、今のところは。これで愈※[#二の字点、1−2−22]二人きりで暮して年が経つうちにどんな心持になってゆくか、それがおばあちゃんにも心配らしくて、どうかこのまま行ってくれればと、きのうもステーションで云って居ました。大連の満鉄に兄さんがいるとかで、そっちも見て来たことがあるのですって。東京暮しにちっとも困ることはないでしょう、きれいな人よ。どうかうまくゆくよう願う次第です。二十七ぐらいのひとです。三吾さんは三十三になったって。呉々もおばあちゃんよろしくとのことでした。
十四日のお手紙、十五日につきました。ありがとう。島田の赤ちゃん景気のいい肥りかたで万歳ね。写真まだこちらへは着きません。長谷川という人は、肩書きつきなの? 秘書として? 女流作家の会の集りで、話はきいたのです。いつぞやのと意味も形もちがいます。
家のこと、一応よさそうでしょう? でも又この一週間の経験で考えているのよ。何しろ年よりの女のひとと娘だから、もの事のいろいろの判断のようなこと、つまりは私が参加するわけですから、すっかり下宿にしてしまえるようにしなければ、やっぱりうるさいだろうと思うの。家庭的になりすぎてはやはり困るでしょうかとも思って、今は考え中です。派出さんなら急にどう変ったっていいけれど、そうして一家を動かしておいて、さて今月からは、では少々こちらも困りますので。
「それに応じて」の物語は、これで一篇の終りとなりましたわけね。実際には滅多にないにしろ、やっぱりいやよ。ですからこうしておいて下すってうれしいわ。そうすれば、ロバはロバなりに嬉々として小さい鈴でもシャンシャンならしながら小走りぐらいは厭わないのよ。駿馬を使うよりロバを使う方が遙にむずかしいのよ。その天下の理を果して何人の良人が心得ているでありましょうか。クサンチッペになることは本来の性に逆らっているから、デスペレートになった揚句というおそろしいわけ合いで、我ながらのぞましくない仕儀です。どうもありがとう。
てっちゃんは私が留守のとき林町へ電話をかけた由です。きっと会いたかったのでしょう、電話して見ます。
『季節の随筆』、本当にそうね。私が折々感じて書いたりしていること御同感の節もあるでしょう? 亀戸に住んだりしたの「くれない」以前なのよ。そのことについても私たちは何かの感想を抱きます、外部的にそんなことの出来にくいということのほかにも。旦那さんはゴの先生をよんでやっているそうです。「父ちゃんゴに余念ないよ」健造もこういう表現をします。もう六年生よ、来年は中学よ。向いの下宿に父さんが二つ部屋をもっていて、その一つの方をこの頃は健ちゃんの勉強部屋になっていて、父さんは大いに督戦係よ。面白いことね。ター坊は踊を一心にやっているし。
丁度中学の二三年というときに父母が急死して一家離散して育ったという人が、自分の家や妻や子に対してもつ感情というものをこの頃すこし理解します。おれのうち、おれの何々、大変つよいのね。いろいろ面白いわ。似たもの夫婦ということの微妙さもいろいろと感じます。
似たもの夫婦という表現は、粗笨《そほん》ですね、よく観察するとそれはもっと複雑で、只同じ種類という形で似ているという単純なものではないことね。一方の或る特色を他の一方もそれと同じにもっているというのではなくて、一方のもちものを気持よく思ったりそれを肯定したり、或る場合にはそれに負かされる要素が他の一方にあって、それが組合わされ、似たもの夫婦というところが出来るのね。だから案外要素として切りはなせば反対なものがあるのかもしれないわ。たとえば、どっちかというと受動的な、或はどうでもいい大まかさで、一方の金づかいの荒さをそれなり肯定しているかもしれなかったりね。しかも、どうでもいい大まかさを持っている方が、生活の意欲の逞しいのは快いとする、その点では一致して、その内容では敗北していたり。なかなかこういう人間関係面白くて複雑ね。こういう小説面白いでしょうね。
小説の面白さこんなところではないこと? ねえ。私もすこし大人になって小説の真髄にふれかけて来たかしら。事柄が小説でない。それは勿論だわ。テーマだけが小説でもない。そうだと思えるわ。心理というものを所謂心理小説で扱ったのも誤って居ります。ドストイェフスキーの歴史からみた負の面はそこでしょう。
私のこの間のロバのバタバタも面白いわ、そう思ってみると。あなたの動機は清純なのよ。私の感情の方がケチくさいのよ。単純なめかたのはかりかたではそれきりよ。私自身これ迄そういうはかりしか自分たちの生活にとりつけていなかったようです。そこにはモラルがあって小説はないわ。私はロバになる自分をも心持の生々しい姿として、あなたにつたえ、しかもそこに私のけちくささだけに止っていない歩み出しをつけてゆけて、やっぱりこういう生活方[#「方」に「ママ」の注記]が、高いと思
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