のよというつもりだったのに、逆により堅きものときこえたというのは、何たることでしょうねえ、雄々しい良人をそんなにもおどかしたラインがあるとは! 世の中のことは分らないもの也! 性根を据えてよくよく体得のこと、については真面目にそう考えます。いろいろのこと考えます。この一年半ほどの仕事ぶりは、いろいろ欠点もあったけれども、それでもいくらか私がそうしたいと思っていた面で達成したこともあって、こまかいもの書いて永いものあとになってしまったようなところもあるけれど、その欠点ばかりでもないようです。
三日に書いた手紙のはじめのところでごとごと云っているような工合で、何とかなるまいかとまだ思案中よ。こんなに一般が暮していて勿論その外にあるというような暮しではないけれど、それでも何とも云えないからみついた空気があすこにあって、それを思うといやになるのよ。どんなものにかなってしまいそうで、そうならないために、こうしていて使う神経と又ちがったつかいかたして、その点ではあなたも何かユリが生[#「生」に傍点]ぬるいところにいる不安をおもちになるのだし。そういう過敏にされた良心の監視を自分が自分に絶えずもつようなのって、さっぱりしなくて、皮膚がつよくないようで、どうも気にそみませんね。同感でしょう? 日々の空気の当り工合で人はいろいろになるようなところもあってね。小説をかいてゆく空気ってものもあるしね、と仰云ったことは全く当っているのよ。そういうこと考えないのなら恐らく私もこんなにとつおいつは致しますまい。こまこました接触が全然変ってしまう、そのことがいやで不安なのよ、ね。何だかじぶくるようで御免なさい。でもやっぱり云わずにいられないの。
中公の本、すっかり出来ているのを切ったり書き直したり貼りつけたり、経師屋稼業です。一番面倒くさいところを今日大体終り。『都』がきいたら、内容によってかまわないと云ったのですって。何が何だか分らない有様です。そうかと思うと、三木清、直、島木健作、青野、稲ちゃん、それぞれがと云われたり。同じところでも他の一部からは大いに不評だそうだとか。皆が自分の気持でうけとるから。
きょう、雨が降るね、と笑っていらしたこと、私もそう思ってすこし意外でした。でも、そうなのがあたり前なわけなのだし、そうでないのが妙なようなものです。でも、私の細君ぶりが大いに感動されているらしいのよ。人徳があるらしいの。えらいでしょう? ごくあたりまえの人の心もちというものはそういうようなところから動かされてゆくものであるという例ね。
周ちゃん、てっちゃんのお父さんの若かりし日を思い出し、この十年の複雑であったことを考えます、ときょう手紙をよこしました。そんなにおっちゃんに見えたんでしょうか。しきりに感服していました。そして虹ヶ浜のとききれいな方がいて、背中のあいた海水着着ていてうしろにまわっては見たと大笑いしていたわ。その人はお嫁に行きました、てっちゃんがそう云ったら、しばらくして田舎のものは男のひとと女のひとといると、すぐ結婚でもなさるものと思うて、と云ったら、いや結婚していたんですが、と云い、周ちゃんのそのときの顔つきに私は好意をもちました。そういう点ではすれていないのね。こういう環境って在るでしょう、娘二人いて、そういう職業で下らない奴等がうるさくて、それに対抗してゆくためにお上品ではやって行かれなくてヤガル言葉もつかうという風な。そんなところがあるのよ、ね。男と遊ぶ遊ぶっていうけれど、遊ばなけりゃお金にならないし、(女優のこと)そういう表現もつかいます。随分ひどいことを見ききしてはいるのよ。やっぱりよくないことはよくないわ。或るくずれも感じます。しかし自分ではくずれた暮しでやって行きたいとは思わず、堅気な安定を求め、工賃だけでもいいから定収入がほしいと云っています、結婚の対手もなかなかないのね。気質はいいのだから何とかまとまればいいと思います。お母さんのお手紙にあった人との話のことね、事実はあったのだろうと思われます、今もう自分で何とか考えきめたのねきっと。顔のきれいな人は得ですね、というような考えかたもそのままでしているらしいわ。何だかああいう女のひと面白い。変にまとまらない輪廓で、人柄はわるくなくて、案外堅気で、一寸そうでもないようだったりして。
きょう、大森の奥さん来て、かえりによったと云って涙こぼしていました。やっぱり一緒にやってゆく気がしなくなっているのね。時間とかその他の原因ではなくて、その人との合いかたが保てなくなって来たのね。まるでつっぱ|ね《なした》る物云いで、と涙こぼしていて気の毒に感じました。たった一本の棒のようで結びかけてゆくいとぐちもないようなのらしいのね。勿論私は話されることをきいているだけですし、何の差出も出来ることではありませんが。奥さんは割合普通の気質のひとなのね。ふりかえってもくれない人のあとから自分だけついてゆく、ゆかねばならない、そういうのがやり切れなくなっているのよ。ふりかえりなんかすることはいらない、という素振りのひとにしろ、心は勿論かかわっているのですが、それをまともに生活として表現もしないし生かさないのね。気の毒です。ただ、やって行けないことが他に人的関係でもあってのことと思われたりしては事実そうでないのに互の不幸だから、そうでないことや何かこまごま分り合いたいのにとりつく何もない由。云うことはきまっている(自分として)、だからよく考えて来い、もうかえれ、ではやはり涙こぼれるのね。人と人とのことは本当に複雑だし、生きているし。
これは、タイプライタアの用紙を書簡箋に刷ったものらしくて紙はにじみませんけれど重いらしいわ。もう六枚で、一枚では行かないかもしれないことよ。
今夜からお恭ちゃんの春休み終って只今外出中。おけいこよ。私は一人。夕飯たべて、それから一休みのところをこうやって書いて居ります。
きょうも一寸おはなしした分割のプラン一寸一人相談して見て、すこし研究してそれで駄目そうだったらやっぱりきめてあったようにいたしましょう。
それはこのお手紙にあるとおり、心持のもちかた次第というところはそうですが。私の望ましいのは、もっと私の日常があたりまえの大人や子供の日常に平凡に入ってゆくことであって、たとえば周ちゃんにしろ、ここならあんなに安心して横坐りしてコンパクト出しておしろい鼻の頭へ叩きつけたりしているけれど、あっちでは全然ちがってしまいますしね。人がそういう風にちがってしまうのよ、それが、私の心持のもちかたにかかわりなくあらわれるのよ、私はそれが余りまざまざでいやなのですね。
何しろしかし、私のこの間の算術の示したサムはいかにもチビですからね。余程うまくゆく条件でなくては無理です。邦文タイピスト級とは大笑いね。同時にまことに厳粛な事実です。
寿江子の体、大してわるいのでもないでしょうが、今時候がよくなくて、私なんかもひどい御疲労よ。あれやこれやで。そして、そうつかれると薬が欲しいでしょう? そして、薬かわきになったり多忙をきわめます。
タイピスト級の宿題と薬補給のねがいとの間をあっちこっちして相当眠るのがおくれてしまうと云ったら、バカだなとおっしゃるでしょうね、きっと。けさなんかあれでふらふらだったのよ。寿江子は、ホラよく芝居に出るでしょう、お姫様がナギナタひきずったのが。一応ナギナタかいこむのは健気《けなげ》だけれど、つまりはひきずって、はたで見ていて私がジリジリするというのが落ちで、経済上の意味でも暮せないわ。
土曜日に周ちゃんを送って目白の駅の横で自働電話を森長さんのところへかけました。そして雨の中傘さしてやっぱりうれしい心持でかえって来るナと自分の心持を思いました。
今日の気持では何だか明日午後でもふらりと行きそうな調子です。ね、面白い心持です、懐の中から詩集が一寸その美しい角をのぞかせているのよ、でも、今は又仕事だからね、ひっこんでおいで、と猫の仔を抱いているように云ってきかせて、頭一寸たたいてしまっておくのよ。
四月十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
四月十四日 第十九信?
まあ、まあ、どうでしょう。十日も御無沙汰! それだのに私はきょうおやと何だかびっくりしたのよ、三日の手紙よんだよ、とおっしゃったから。あら、それから私は一つも書かなかったのかしら。と。書いていやしないことねえ。手帖出してみると、三日からあとはかいたしるしないわ。何とひどい御無沙汰でしょう。しかも御無沙汰どころか、毎日云わばめっぱりこで、一寸仕事の手がとまると、すぐいろいろ考えて、いくらかクタクタ気味だのに。そういう風になるのね。正気にかえりっぱなしではないのね。余震が相当なものね、こうしてみると。大変頭疲れた気がします、もう丁度一ヵ月経ちます。
さて、面白いようなおかしいような心持についての物語を一つおきかせいたしましょう。家のこと、私はなかなか心をきめないでしょう? ひどい愚図つきかたなのよ、ねえ。寸刻の休みなく愚図ついているのだから、疲れもしようというものです。昨夜、ひどい雨が宵のくち降って、十一時すぎにははれました。私はお恭ちゃんをつれて林町からかえって来ました。開成山のおけさというばあさま、(孫の口説かいたでしょう? あのばっぱちゃんよ)が急に夜行でかえるというのでね、もう年だからといそいで土産に下駄を気ばってやって、ザンザ降りの中を持って行ってやったの。一人ではさすがにいやで、二人づれで。
すっかり濡れた足袋をはいてかえって、ゆたんぷ入れていくらか暖めて眠りかけながら又候《またぞろ》あれこれ御思案中をやっていたらばね、私ったら狡いわねえ、ふっとこういうことを思いついたの。私たちの家としてここを愛着していて、動坂だって、といかにも腹にすえかねるところがあるわけなのですが、あれこれ思っているうちに、縁側のことを考えました。この家には二階には縁側がないし、下もぬれ縁だけなのよ。縁側というものは気のくつろぐもので、縁側に坐布団出して、庭というものでも眺めたらあなたも私もどんなにのびのびするでしょう。ふっとそういう光景を考えました。私たち縁側と云えば、動坂の家で徹夜した朝窓をあけて、外の空気を吸ったぐらいのことだから、これは大変新鮮な空想なの。あなたと縁側とのつながりは。
そんなこと想っていたら、いいや、いいやと思う気持が湧いて来ました、そのときはそのときで、私は縁側のある家を見つけよう、と。そのとき、さっぱりとした縁側のある家を見つけるための根気のいい準備だと思えば、いいや、ということにしてしまおう、と、そういう狡い自分への云いなだめの口実をつかまえた次第です。勿論私の他の考える力は、そんなことではくらまされないから、何だかニヤリといやに笑ってまあ、そんな風に思って見るのも今のところわるくあるまい、と構えているという塩梅です。そんな声、こんな声。なかなか頭の中に休暇日なしです。ああいう条件、こういう条件、何か自分が一つでも気の向くような条件とさがします。
ほかに其々人のいる中での生活も、今の時期になると、或は私にいいかもしれないと。何故なら、私はずーっと自分一人の形で暮していて、お客か、さもなければ、お久さんだのお恭ちゃんだので、たった一人のひとに向って私が自分を投げかけてゆく以外はいやに私の輪廓はくっきりなのよ。そういうことは心理的に何というか事理明白すぎて、小説をかいたりしてゆく気持にとって、必ずしも最上と云えない、このことは割合心づいていたのです。そういう点から時々、チビ坊に侵入されたり、小さい女の子の手で顔をひっかかれたり愚痴をきいたりするのもいいかもしれません。
私は、随分気を張って(それはそうよ、こわいときは一番私がこわいのを辛棒しなけりゃならないから)いたのだから、ここいらでこわいときはギャーギャー云えば来て呉れるもののいるところで、暮すのもいいのでしょう。余り女丈夫になりでもしたら、あなたにすみませんから。私は益※
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