したものでしょう。卯女、康子は十八歳の乙女たちよ。彼女等の生活はどんなに展開されることでしょう。
 太郎は学校になる前に是非泊りに来ることになっています。小ちゃいおばちゃんと私と三人でねなければいけないとなると、うちは大鳴動なのよ。其でも三月中には一夜その旺なるお泊りをやらなければなりません。今に太郎のための本棚というのをこしらえてやります、これは今に島田にも入用です。子供の本は私たちで供給してやりましょうねえ。子供の育つのに雰囲気というものは何と大切でしょう。そして複雑な気持でクスリともします。だってお母さんにしろ達ちゃんにしろ、きっと立派ないい子欲しいと思っているでしょう。いい子は欲しい、だが心配。そのディレンマ。本当にどんな子が育つでしょう。
 ボンボン欠乏のこと。その心持、こうしてかえって又手紙かいていると思います。本当は忙しいのよ。一刻が大切なわけなのよ。それでもやっぱりこうして書いている。妙ね。
 ものの味とは何と微妙でしょう。私はきっと今にボンボンの詩を見つけるでしょうと思います。フランス人ならきっと詠ったひともあるでしょう、美味を美の一つのものとしている習慣があったから。日本の「美味求真」ではどうかしら。いささかあやしいものです。
 いろいろのことが非常に書きたい心持です。いろいろのこととは何でしょう。いろいろ、いろいろの心持。字のない字で書くような心持。いろいろ書いているくせに何かもっといろいろ書きたいのは変ね。さアもう仕事しなくては、そう思って自分で僻《ひが》んでいるのよきっと。字で書くなんて! とふくれてもいるのね。無理ないよと云って下さるでしょう? 字でかくことは話すこと。何にも話したいというのではないそのときは、何で話すの? ああ。すこしじぶくるのは珍しいでしょう?
 何しろ私はこの頃あなたとけんかもしてみたいのよ。私たちはどんな風にけんかするでしょうね。どうも考えてみるに、ちょいちょい口げんかをするという風ではないらしいことね。わたくしは、たいへんおとなしい細君でありますから。たまにするとすれば、それはこわいでしょうか。こわいのはいやです。勿論こうしていてするけんかなんか真平、真平よ。もしそういうことがあればわたくしは四辺《あたり》はばからず、おーんとやります。
 さあ、本当にもうやめなければ。そして、御飯たべて、一がんばりしなくては。勉学勉学よ。ほんのちょっぴりでいいからおまじないが欲しいのになアと思うことは、たけきもののふも思うことでありましょう?
 そして、きょうはもう十日です。この手紙を引出しの中にしまい込んで、その上でうんさうんさとやって、きょうは上野へ参り、それで年表が終り、校正に目をとおし、それで放免です。一昨日と昨日とは、年表をこしらえてくれた絵の娘さんをわが家にかんづめとして、本を山積して補充でした。大へばりよ。文学年表というようなものを誰もこしらえないから。いちいち本でその人の年表を見るわけです。たとえば万太郎さんというような人は、私としては閉口ですが、私を閉口させるところが存在性ですからやはりさがしたり、ね。
 索引も出来ました。それの直すところを紙を入れたり。本つくりの仕事は書く仕事と全然ちがうようです。大したひまを費します。
 六日の日ね、そちらからのかえり、私は大変可愛い碼瑙《めのう》のようなかざりものを見たのよ。何だか光線の工合であかい碼瑙の円い珠のような飾りもので、今時あんなものもあるのでしょうか、泉子がみたら、知らず知らず口をもってゆきそうなの。マアと思い、忽ち通りすぎました。
 お金、島田へも手紙つけてお送りいたしました。私たちの赤ちゃん歓迎費として。
 そちらへも着いたかしら。
 図書館へもって行って書こうと思いましたけれど、きょうは間もなく手つだいの娘さんも来て、並んでやるのよ。ですからうちでおべん当ののり巻を買って来てくれる間に、これを書き終って出そうというわけになりました。だから急にせわしくなったのよ。だって、今出さなければ又おそくなり、今夜あやしいのですもの。
 寿江子が今一寸来ていて、昨日一昨日二階へ籠城でしたがおかみさん役をやってくれました。
 きょうは文芸年鑑と、松井須磨子の小説というものをよもうというわけです。スマ子小説を『早稲田文学』にのせたりして居ります、どんなのでしょうか。そんな点も何だか、今のヒヨコヒヨコとは少しちがって興味があります。
「生活と文化の問題」というのを二十余枚かきました。重点は、所謂健全なというものが不健全なものに転化する生活の機微を理解しそれを正常ならしめるたたかいが、文化の健やかさであるというわけです。こんなにあたり前の考えがあるでしょうか、このあたり前のものの考えかたが、女に毒だという考えのお方がカーキーの情報にいます、女の雑誌には、というのですって。女がバカであって便利をうける率はごくわずかなのにねえ。きょうは春めいた日です。夕方までにしまって、寿が夕飯に待っていてくれます、だからきょうは月曜でも一人でなくてすむのよ、およろこび下さい。では明日、ね。

 三月十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 三月十六日  第十四信
 十四日づけのお手紙をありがとう。風邪がややましにおなりになって何よりだと思います。きょうなんかすっかり春ね。そちらにも沈丁花の花が咲いているでしょうか。おとなりの庭にあるのが下によく匂います。
 十四日づけのお手紙をくりかえしよみました。花園の被害についての話[自注3]。表現はすこし風がわりですから興味をもっていろいろ文学的考察をしました。そして大変立体的にいろいろの関係を理解しましたから、私もやっぱりそのような詩趣を失わずに物語るのがふさわしいと思います。中村ムラ夫が、『花園を荒す者は誰だ!』という論文集をかきましたね、昔。結局こんな題の論文なんか書けたのは天下泰平ね。お手紙の中に泰平的テムポのことありましたけれども、あれは寧ろ大局的にはいいのよ。何故なら、もし原形のまま出ていたならそれを種として、必ず波が立ったのですから。そうすると、これからずっと様々の曲折を営んでゆく上に途が切れてしまう結果になったでしょう。芥川の小説の「極楽」というの覚えていらっしゃるでしょう? 一縷の糸につながって極楽へゆくという話。極楽ではないにきまっているけれども一縷の糸もなきにはまさります、その一縷の糸にいろんな名の人がつながって極楽へ行けた云いつたえを信ずればね。仏様はきっと臆病ではないでしょうね。しかし、現実の糸のもちてはまことに兢々たるものですから。一縷の糸に一度シャッキリ鋏が入れられでもすると、もう糸を切られたと絶望して、もっていた手を諦めてはなしてしまいますから。その糸をいかに巧にかしこく手ぐるかというところに蜘蛛の智慧がひそむわけです。蜘蛛は、アナキネという乙女の化身ですって。アナキネは大変織物が上手で、その美しい織物の技術に、或るギリシャの神が魅せられたのを、その男神の恋人が嫉妬して呪詛で蜘蛛にしてしまったのですって。可哀そうね。
 具体的ないろいろのことが大変複雑でむずかしいので全く閉口です。毎日そのことを研究中です。只今のところ名案皆無です。秋ごろから予定どおり出版企画が実現するとすれば、出版種目は急を要するもの――科学、工業、軍事だけが先になって、文化の方はずっと割合が低下するでしょう。そして、もし今云われているように初版が一千部ときまって、再版は許可制となるとすれば、許可制の内容は文部省のスイセン図書をみてよくわかりますから、それも極めて小範囲となるでしょう。どんな本やも、特別な文学物の店をのぞいては再版の可能なものの方を選ぶわけですから、その面からも一般に大変落付きを失っているわけです。そういう変化が迫っているということも、私の名案がなかなか浮ばない原因でね。川口松太郎は「蛇姫様」というようなものをかく男だけれども、余り艷かすぎるということでいざこざがおこって、何とか云われたとき、生活しなければならないんだからと云ったらば、それは十分よくわかる、そのためなら何も心配はいらない、満州へ行って電気屋になって下さい、足りなくて困っている、すぐ紹介状かきますと云われたよし。実に今日の逸話です。
 T・Yという人がいましょう? 伺いたてたらノートを端から端までめくって見て、居ない。これで見るとよっぽどペイペイだろうということであった由。
 私はさびた小刀になってしまうのもいやですが、さりとて余りのコマ鼠の遑しさで(心の、ね)結局その日その日のために本当の書きものが出来ないというのも非常に困ると思います。そういう風な生活のプランを立てたくない。それから、永い時間ということは必然で、云わば一生かもしれないから借金生活はいけません。結局つづきませんから。そこで、まことに私の不得手な算術を、ああ足して見てこう引くと、こう引いてああ足すと、とやって小首をひねって居ります。最低限の安定をどう求めるかという力学のようなことを考えているわけです。それの上にくもの智慧もいかして行かないと、私はすり切れてしまいますからね。いろんな面で何かの創痍《きず》がさけられないのならば、最も肉のあつい部分でそれをうけなければなりますまい。母親が子供のおしりをぶっても眼の上は打たないように、ね。私はわたしのおしりを見つけ出さなければならないと思います。眼をつぶさないために、ね。そして、その案の一つとしてこの家の便利なたてかたを利用して、二分してつかうと大いにいいのですね。今は何でも配給ですから、一人ぼっちでは手も足も出ません。お砂糖にしても一人では一ヵ月八十匁ですもの。さて、実際にその人のことになると大変むずかしいわけです。何しろこっちがこっちですから。
 この前のときはあのときの条件から、強引生活をやって一ヵ年と四ヵ月暮しましたが、あれはいい経験となってプランを立てるについても今は有益です。ああいう方法ではいかに不可能かということが分っているから。どんなに小さくても自転作業がなくてはなりません。わたしも少しは実際的能力がたかまったというわけです。この点についても御褒美がほしいわ。私たちの最低の安定を発見さえ出来たら、もう心にかかる憂雲もなしと、勉強して、働いて、ボンボンになぐさめられてやってゆけます。〔中略〕
「どうしてもわけがわからない、ピンとこない、のみこめず不思議」と寿江子が眼をパチパチやっているのが無理もないわけね。のみこめる訳がない現象なのだもの。きょうあたりは、何だかいろいろ考えていて、ふっと可笑しくなるようなところもあります。大分御思案だな、無理もない、と。ホラ、ユリ、どうしたい? と。
 きょう税の申告をいたしましたが、これこそ不合理そのものよ。前年度はたった七百円ぐらいに五十三円ばかりの税でした。五倍だというなら二百六十何円の税というわけです。どこから其を払ってゆくかということについてはとりたてる方は問題にしないのね。
 こんなに苦心していれば、小説の点のようにどうにか展開いたします。小説はつまり現実のことですから、丁度小説の世界のシチュエーションを考えてゆくように、諸条件をよく調べて、内外の動的な作用をよく観察してプランを立てれば、きっと最小の展開はいたしましょう。感情的にならないで考えられるようになればもう占めたもので、そろそろ大丈夫よ。それは手紙の調子でお感じになれるでしょう? 何も経験ねえ。子供のひきつけで、はじめ動顛した母さんだって二度目には少しは呼吸がわかります。先は、いいえ大丈夫です、落付いています、そう云いながら洗面器の水で手拭をしぼろうとして洗面器のそとへ我知らず手をやっていたようなところを思いだします。やかましく云って下すって、金ダライのありかがわかって、というようでもあったわねえ。あれこれ考えると、やっぱり面白いものと思い、苦しいところの面白さも感じて来て、何かのスポーツのような興味もあります、今度は今度の条件でうまくやろう、と。
 私はちっともスポーツの鍛練
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