主観|沈湎《ちんめん》のデガダンスに対して、野生な生命力の溢れを追求する仕方にあるデガダンス(近代的な)を武者は感じないのね。そういうかん[#「かん」に傍点]は欠けているのです。現代フランス画家の病的さ。それに正当な判断なくまねする日本の洋画家たち。模倣のひどさは文学以上ですね。つまりまね物が通用する点で。
牧谿《もっけい》の絵は、ドガなんかから与えられる力と同量のものを与えます。牧谿の絵、覚えていらっしゃる? これはお目にかけられるわねえ。動物だの景物だの。青楓の蔬菜図とはちがいます。私は自分では全く描けず、それでも絵は時々随分すきです。パリから大きいトランク一杯に複製だの画集だの買って来て。あれらは誰が買ったでしょう、時々ああこれ私のだったんじゃないかしらと思ったりします。一誠堂なんかで。可笑しいわねえ。きっと間接に私は少なからず日本の画学生に貢献しているのよ。福島という現代画家の相当のコレクションをしていた人のところへ見せて貰いに行ったとき、ルオーがもう手離した絵だのに時々気が向くと来ては、もうすこしもうすこしと手を加えてゆくその粘りかたを感服していました。ああいう蒐集家がどこ
前へ
次へ
全471ページ中89ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング