心の叫びのあらわれのまま描くか、さもなければ、抒情小曲として表現するしかないのね。でも、私は詩だって散文でかくたちでしょう? 小説でかくしかないのでしょうか。
 生活って面白いのね、名をつけるとか、病人が出るとか、二人ともいそがしくて詩集ふところのままおちおちしなくて、そして、生活のそういう間にあらわれて再び生活のなかに消えてゆく詩も持ったりして。
 芸術の中に生かされなければ、そういう生活の花のようなものは遂にどこにも跡をとどめないでしまうということを考えると、びっくりするようね。書く。そうすると、それは在る。書かない、そうならそれは在ったという跡もとどめない。このちがい何と僅かのようで決定的でしょう、人生にはどっさり不思議なことがあります、それの一つね。生き過ぎるという人間の生活を考えると、何とおどろくでしょう。刻々とその人の人生はすぎつつある。でも、それは関係のなかでだけ実在しているというような人生。自分の生きて居るということの次第をはっきりと我ものとしたいという人間の欲望を、芸術がうけもっているというのは面白いことですね。
 芸術と云えば、重治さんのところの卯女が一本田へ行って
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