晩、父の命日の会食のかえりに雪見を寿江子としたり。新緑の日比谷は、日頃ここに手入れしている人をありがたいと思います。
 それから、一寸夕飯をたべて、咲枝の誕生日のおくりものに、やすくて可愛いタバコ入れを買って(のむのよ)新橋からのって、早くかえって早くねむりました。そんなにして、羽根をのしつつ、懐の中にひそめた一巻の詩集は、しっとりとした重さで私が見るものやきくものを共感しているというわけです。きのうはね、陽光のかげんで、むき出しにした若い女のひとたちの腕や脚が、新鮮な桃色の絵の具で艷々描かれたように見えて、描きたい衝動を感じました。新しい緑と桃色みたいなそういう人体の美しさを、それなりの自然の品のよさで画面にとりいれたら素敵ね。そういう人なかなかなし。
 新緑に感じる私の恍惚は一年の絶頂ね。秋もいいにちがいないけれど、新緑の美しさは夢中にさせるところがあります、そして、日比谷を歩きながら考えてね、新緑を見たいというとあっちこっち田舎を考えるけれど、足まめなら東京のいろんなところに新緑が見られるのだから、と。冬の雪、今ごろの新緑。リズムがあって、それで面白いのね。風景に。
 さて、十四
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