主観|沈湎《ちんめん》のデガダンスに対して、野生な生命力の溢れを追求する仕方にあるデガダンス(近代的な)を武者は感じないのね。そういうかん[#「かん」に傍点]は欠けているのです。現代フランス画家の病的さ。それに正当な判断なくまねする日本の洋画家たち。模倣のひどさは文学以上ですね。つまりまね物が通用する点で。
牧谿《もっけい》の絵は、ドガなんかから与えられる力と同量のものを与えます。牧谿の絵、覚えていらっしゃる? これはお目にかけられるわねえ。動物だの景物だの。青楓の蔬菜図とはちがいます。私は自分では全く描けず、それでも絵は時々随分すきです。パリから大きいトランク一杯に複製だの画集だの買って来て。あれらは誰が買ったでしょう、時々ああこれ私のだったんじゃないかしらと思ったりします。一誠堂なんかで。可笑しいわねえ。きっと間接に私は少なからず日本の画学生に貢献しているのよ。福島という現代画家の相当のコレクションをしていた人のところへ見せて貰いに行ったとき、ルオーがもう手離した絵だのに時々気が向くと来ては、もうすこしもうすこしと手を加えてゆくその粘りかたを感服していました。ああいう蒐集家がどこまで本当のことがわかるでしょう、きっと通[#「通」に傍点]なのね。通[#「通」に傍点]というものは要するにその道のガクヤ話や癖や迷信や伝統を知り、それに屈伏している評価者ですから。通[#「通」に傍点]は素人おどしにきくけれど。
こんなことをかいていると、そして、この間一寸『新しきシベリアを横切る』をよみかえしていたときも、ああして暮した時代もっともっと勉強したかったとしみじみ残念です。
生活、特に外国生活での対手というものは大きい意味があります、ほんとうにそこに在るものを知りたい、と思っての生活態度と、主我的な態度とでは得るものが実にちがいますもの。ほんとうにそこに在るものを知りたいという私の気持は、あの時分まだひよわくて、気に入るとか入らないとかいう気分で支配されている傍の性格とはっきり対立して、独自の線を描き出してゆくというところ迄育っていなかったのね。パリや何かからかえって、「広場」でああいう風に、自然発生ながらはっきりはしたのだけれど。もっともっといろいろ書けもしたのに、と。日々の空気がもっと知的なら。まだまだ書きたいことでのこっていることがあります。でも、それもよかったかもしれないわ。だって、ギリシア以来のあれこれをアカデミックであることも知らず余りうんとつめこんでしまうと、生活的感動そのものまで静的なものに化してしまったかもしれないから。ちっとやそっとの下剤ぐらいでは、おなかがきれいになり切れないかもしれないから。
それにしてもドガの、ほんとのことという感銘の絵はいいことねえ。ヴァレリーの『ドガに就いて』という本がありますがどういうものかしら。この間レンブラントを一寸よんで、レンブラントが最後に一緒に暮した女をやっぱりサスキアを描いたように富貴の姿にして、そう幻想して描いたというところ、何だかわかるような下らないような。ねえ。どうして水色木綿の働き着を着て白いキャップかぶって、そして彼にとってなくてはならない女であったその姿のままかかなかったのでしょうねえ。何故「王女のように」飾るのでしょうねえ。レンブラントさんよ。
林町からヴィクターの古いのもって来ようと云っていてなかなか実現しないものだから。
それからね、私の左のひとさし指に、もしかしたら魚のめが出来るのよ。いつかとげをさして、そのあとが黒く小さくかたくなってまわりがすこし半透明になりました。
中公の本の初校出はじめました。技術的な校正は、メチニコフのおくさんにして貰います。あのひとはそのことはよくなれているのよ。そして、傍ら索引をこしらえて貰うの。ざっとしたものでも。よむひとの便宜のために。メチさんは今お留守番で、いくらか収入があった方がいいのですから。市価は払うことにします。年表の娘さんのためにもいくらかためになってやれたし、一つの本の功徳はいろいろあるものですね。
さアもうこの位にして、もう一息。ああそれからね、もう一つ。きのうの夜散歩して、私がちっとも散歩しないわけわかりました。やっぱりひとりだからね。ちらりと何か見ておやと興味ひかれるでしょう、そういうとき少くとも云うことのわかる対手と歩いているとちょいちょいそんなこと喋って、何だか自分でも印象はっきりして面白いのね、歩いてみるのが。目白の通りに一軒釣道具屋があって、その店には気がついていたのですが、ゆうべその店先に女のひとが坐って客と話していてその女のひとはやっぱりどこか下町風で、着物の縞の色や髪や横顔、ある印象があり、釣の伝統がその女のひとに映っているのよ。やや雪岱流でね。おやあの女のひと、と私が何心な
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