かく二十枚ほど、続篇として構成したら(人々の名なんかみんな一致させて)一つの本となるときすこしまとまって面白いでしょうね。これも万更すてた知慧にあらず。
今、時間は充実して、それ故きめこまやかに重く平らにすぎていて何といい心持でしょう。評論をかくたのしさ、それは丁度しこった肩をもんでそこから筋にふれてゆくような感覚。小説をこうやって考えているたのしさ。いろんな人々の顔、感情、動き、景色。そこにある生活の熱気。声。脚の恰好。ネクタイ。いろいろいろいろ。しまりかかった省線へいそいでのりこもうとして、すぐそのドアによっぱらいの顔が見えたのでスラリとそこをよけて次の車にとび込む娘の、都会生活の中での神経の素ばしっこさ。(自分の経験。それが転身してゆくその面白さ)そういう女の神経。いろいろいろいろ。ね。
こんな小さい作品でも、私は本気なの。長いもののためのウォーミングアップとして。この前の手紙にかいたように、私の内の工合は、全く小説のために適合した流れかたにならなければ、長い小説なんてかけませんから。そして、長い小説も私はうちで書くということを実現したいから。寧ろ一寸そこからはなれて新しく展開させるその気分のために、ちょいちょいしたピクニックを使おうとして。
小説をかいているとき私は喋りたくないの。何をかいているときでもそうですが、だまって、内部が生々して、黙っていることのたのしさがわかってくれるものがうちにいるといいけれど。多賀ちゃんも初めは何だか顔が変るからとっつきにくかったって。私はそういうとき本当に美人だのに。顔みるなり雑談するというような気分になれ切っていて、さもないとむずかしいと感じるのね。黙っている顔に漂っているものはとらえられないから。ましてお恭においてをや。この意味で、細君は旦那さんが留守で温泉ででも仕事しているという方が気らくなのかもしれないわね。
火鉢の炭をつぎ足していて、あら、とおどろきました。どうして十日にそちらへ行かないなんて法があるでしょう。十日の晩に、あなたは新聞をまるめ、こうやって火をおこすの知ってるかい? とおっしゃったのだわ。どうして十日に、うちにいる法があるでしょう!
つづきは九日の夜。
そして、面白いわねえ。ブッテルブロードのときは、あんなにはっきりしていたユリが、火起しのときは、まるで子供らしくなっていて、困ったとわかる迄困ったの、つい忘れていたりしたこと。何と笑えて、たのしいでしょう。このことの中には大した大した宝がひそんでいたわけだったのだと思います。だって、もし非常に親密な、非常に全体的な信頼で心がいっぱいになっているのでなければ、そんなことは寧ろおこらなかったのですものね。そういう極めて全体的なゆるがないものが、自覚されるより深い本然なところに在ったことが、火起しの物語をひきおこし同時に、今日をもたらしているのですもの。天才的に更に多くのものが具体的な内容としてもたらされてはいるのだけれども。
ああ、あなたにとっても益※[#二の字点、1−2−22]面白い小説を次々と書きたいと思います。
この間うち道々よんでいる小説は「話しかける彼等」という訳名、原名は「心は寂しい猟人」The Heart Is a Lonely Hunter というので、二十二歳のアメリカの女の作品です、なかなか面白い。一九三八年の南米の工場町での生活を描いていて、バックのこの間うちよんでいた「あるがままの貴方」などと対比すると大変面白うございます。よみ終ったらお送りして見ましょう。「あるがままの貴方」は「この心の誇り」の人を理解する限界としての輪の論ね、あすこからかかれているものです。そして何かやっぱりあの輪論が私におこさせた疑問が一層深められます。あるがままのその人を理解する、うけいれるということが一般性で云われているから。あらゆる人物間の事件が、その肯定のために配置されているから。このことは、バックにとって芸術の一つのスランプへの道を暗示するいくらかこわい徴候ですが、バックはそれを心づいているでしょうか。文学の世界の交通ももっと自由だと、たとえば『エーシア』だの『ネイション』だのに日本の一人の女の作家の批評ものって、バックはやはり満更得るところがなくもないのでしょうのにね。何と互に損をしていることでしょう。
ケーテ・コルヴィッツの插画のことでアトリエ社の人が来ての話に、百五十人ほどの人から、十人、明治画壇の物故した記憶すべき画家をあげて貰ったのに、一人も婦人画家は名をあげられていなかったそうです。画は大変おくれているのね、その理由は何でしょう、文学は苦しんでいる若い女の心が直接ほとばしって表現し得るのに、画は従来、そういう表現としてみられている伝統がないからなのね。純文学というより以上に純粋絵画
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