というような迷妄が空虚をこしらえて、それで婦人画家は出なかったのね。日本の女の生活と日本画と洋画のいきさつは、一つの面白い真面目なテーマです。いつか出て来る若い婦人画家たちのために、そういう点を、こまかくかいておくことも有益ですね。ホトトギスの写生文と一緒に写生が流行しはじめた時代、スケッチ帖をもったりした女学生が、婦人雑誌の口絵の画にかかれたのを見たことがありますが、その時分から成長して来た婦人画家というものは日本で誰だったのでしょうね。どんなに下手だったにしろ、中途で没したのにしろ、近代日本のはじめての婦人画家というのは誰かあった筈です。婦人画家たちがそういうことで自分たちの歴史を考えようとしないのも、やはり文学とちがうことね。日本画の婦人画家のジェネレーションの推移と洋画のそれとを対比したらどんなに面白いでしょう。なかなかすることはどっさりありますね。一生退屈しなさそうね。めでたし、めでたし。
 それからね、流感は画家たちにまでうつっているという有様ですから、私はよくヴィタミンのんで体に気をつけ、もしユリが盲腸を切ったときのような場合でも、費用がつぐのってゆけるようにということ、テムポテムポで心がけるつもりにしました。なかなかむずかしいけれど、まアその気になってね。
 実業之日本で又本が出したい由。私は竹村より、こちらをのぞみます。部数その他の円滑な点から。只、『明日への精神』とはどこかちがった、つまりどこか展開した内容の本にしたいと考えるわけです。それがどんな風にゆくかと考え中ですが。なかなか考えることどっさりあるでしょう。
 頭ってよく出来て居りますねえ。体というものが全く驚歎すべきものではあるけれど。よくよく眠って、美味しいボンボンでなぐさめてやって、散歩して、精力をたくわえてよく仕事することだと思います。かぜお大切に、呉々もね。

 二月十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 二月十五日  第十信
 今は静かな午後二時。二階にいっぱい日がさしていて、手すりに布団が干してあります。物干に小さいカンバスの椅子を出しかけて、そこに私の上っぱりを着た寿江子が桃色の紐を上からしめて、おとなしく日向ぼっこをしながら本をよんで居ります。私は室の内で、スダレをおろしカーテンで光線を柔らげ、足元を暖かくこの手紙をかいているという、そういう光景。
 そして、広さのせまさということについて一寸面白く感じたところ。林町の庭は、ここの物干しよりそのひろさは何倍かです。でも人間の視線が直線であるというのは面白いことねえ、平地でしょう? いくらひろくたって。だから立木だの建物だのにさえぎられて、この目白の物干しへ出て眺めるようなひろびろとした空間、視野の遠近がなくて、つまらないのですって。そう云えば全くそうです。そして、ここにはそういう只の空間のひろさばかりでなく、人間の生活の光景がその風景にあってつまり生きている。(野沢富美子のところでは、こんどは人間のジャングルになっている)それで休まる、という感じ。寿江子はこの間うちすこし気を張って勉強して居りましたら、又糖が出だして夜安眠出来なくなって、又こっちへ来ました。こっちだと妙に眠れる由。日光によくふれるからかしら。とにかく二晩とも私より先にフースコよ。私は小説をかいているときは気がたつから、なかなか枕へ頭をつける、もう不覚とはゆかず。
 十三日、全く! どの位私がっかりしたでしょう! 丁度油がのっていたのに、エイとやめて、いそいで出かけたら、あの位バタつかざるを得ないわけでしょう。あなたがもしや心配なさりはしまいかと、しまいにそれが気になって、かえってから気がおちつかずすっかり番狂わせになってしまいました。おめにかかると思って八日のお手紙、十日分返事あげてないのだし。
 お恭ちゃんが、折角十三日だからと、腕力出して茶の間をかたづけて、書棚を運びタンスをどけ新しいカーテンをその本棚に吊って、お祝のサービスをしてくれました。
 私は上で仕事。仕事。夜までやりつづけて、夕飯に寿江子、あの小さい娘さん二人、私、恭、それで、たべました。こういうのも珍しい顔ぶれです。私のぐるりの最少年たちが、それぞれチョコンとした顔を並べ、スカートをふくらましてたべていて、何だかやっぱり愉快でした。二十二歳前後だから。あの絵の娘さん、買おうたって買えないもの持って来てあげた、と新聞にくるんだものもちあげているのよ。いやよ、猫の仔でも持って来たんじゃないのと云って見たら、それは鉢の真中に、一本、小《ち》いさな小さな桜草の芽がうえてあるのでした。こんなの買えないでしょう? 本当ね。それに又蕾がついているの。こんなものをくれる人がいたりしてあなたもユリは仕合わせ者だとお思いになるでしょう? それに百合という名の
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