でその新しい堰をきるのではないでしょうか。
 人々の裡のそういう必然な文化力は、鼓舞されなければならないものでしょう。事変が起ったとき文学の玄人《くろうと》は、玄人界の打開という面からのもさくとして、ルポルタージュを見直しましたが、今やその段階はもっと進んだと思います。ルポルタージュが、もっともっと、生活から湧き出るということは健全さです。どっさりの制約をもって書いて行くうちに、それを自分に発見してゆくこと自体が一つの大きい勉強ですから。一般の成長は、こういう経路をも通ると感服いたします。
 農民文学会の連中はこのごろ、あちこちの模範村へ派遣されています。そこでお話をきき、観察をして、めでたし小説をかくのでしょう。もしこの人たちが、その村の文化的可能を集めて、その人たちの指導で、村が村として自分の物語を持つように導いたら、大したものですが、そういう風にはおそらく考えないでしょう。めいめいが流行作家なのですから。
 のこる同人雑誌は『昭和文学』、『青年作家』。(それから、と書こうと思って新聞をさがしに階下へ行ったところ、見つからず)どうしてこれらはのこるのか理由は知りません。『スタイル』という宇野千代女史社長なるおしゃれ誌は、女性生活という改題で三つばかり買収し、その一つに奥むめおの職業婦人の生活を報道していた小型のものも入っていました。これから政治・思想雑誌に及ぶよしです。
 新しい値上げで汽車の近距離があがります。例えば熱海迄三等一円五十五銭が二円十銭となり、大阪まで五円九十五銭が七円七銭。急行寝台を利用すれば現在より六割ぐらい高くなる由です。今デパートは大変だそうよ。十二月から白生地その他がずっと高くなるのに、お正月をひかえているというわけで女連買いこむ由。しかし今買える人ならあとだって買えるのです。例えば十円あがって絶対に買えないという人は、今五十円六十円すぐ出せる財布は持って居りませんものね。
 多賀ちゃんにはたった十円ですが送りました。今年の暮、島田へなんか何あげようと昨夜も話しました。実にないわねえ。お母さんのお好きな海苔も今のところは怪しいのよ。皆いざ[#「いざ」に傍点]の用意に買いためたのを、急に防止で制限が加わりましたから。せいぜい輝のおもちゃでも見つけたいものです。そう云えば来年のうちには輝の弟か妹が出来るかもしれないわ。勿論何も今わかりませんが。来年の春島田へ行こうなどと思っていますが、どうなることやら。
 スタンダールのナポレオン伝は面白いと思います。スタンダールはナポレオン崇拝で、と云っていますが、決して盲信ではないわ。ナポレオンが学問がなかったために、現象の面しか分らなく、その見かたは上流社会の見かたしかなかったこと、軍を統帥は出来ても、政治的統率力はなかったこと、それは服従すべき者自身に、服従の必然を理解させるどんな考慮をも持ち得なかったことなどをあげていて、なかなか洞察力に富んでいます。スタンダールは、王政復古時代の作家が腑ぬけになった空気の中で、人々がもうナポレオンとは呼ばず、ブナパルト氏と呼ぶ、その卑俗さにムカムカしてあれを書いたのでしょう。スタンダールは一種の硬骨漢です。そして、いつの時代にでも、その時代における硬骨は、人間として理性の判断を自分に向ってごまかさないということにかかっているのは、何と面白いでしょうね。実業之日本社からスタンダールの伝記が出ます。どんなかしら。一つの大きい時代に生きた人を語るには、よくよくその時代の性格がつかまれないとうそね。「赤と黒」の主人公は、卑俗な時代の野心、功名心というものが、どんな屈辱の道を辿るかを書いたというのは面白い、暗示にとんだことです。功名心というものが抽象に存在しないことを教えています。今日の或種の人のための警告です。業績をつむつもりで業《ごう》を重ねているということを自分で知らない人が何と多いでしょう。
 もしかしたら、火、金のほかにふらりと行っていいのかしら?

 ○隣組で大人三人につき玉子一ヶ配給になる由。
 ○今年の餅は一人につき一キロの由。

 十二月七日 [自注8]〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 十二月六日  第五十三信
 四日午後のお手紙けさ。ありがとう。きょうは、この三週間前から毎土曜の午後おはなしに行っていたところが最後で、ほっとして気持ようございます。三時間から二時間、一人でお話しつづけもくたびれるけれども、大抵はそれよりながくなって、六時ごろでした。きょうは。一番おしまいだというので、だァれも立ち上らないのですもの。かえりにそこを出ると、みんな門口へかたまって、センセイサヨーナラ※[#感嘆符二つ、1−8−75] と叫ぶのよ。センセイというのはほかならぬアンポンおゆりのことです。断然すごいでしょう? お
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