の案内が来ました。シュールですね。ピカソの後塵を拝し、しかもそこから東洋の美の新しさをつくり出そうという努力をしているらしく、いかにも頭脳的です。この若い人はまだ理性的ということ、意志的ということと、頭脳的ということの根本的なちがいが分っていないと思います。
 しかしこの頃深く思うのですが、この二つのものの本質の差別が出来るか出来ないかということに、芸術家の歴史的な質のちがいがかかって居りますね。過去の純文学はその尖端を頭脳的なもの止りで、しかもそこでは一面の大きい無智、偏見のため、すっかり堕落してしまった。ジイドのこしらえものの鋭さ。横光の似而非《えせ》芸術。川端康成だって心情をそこへ導いたものは頭脳的だから、心情的なものの低さではもちこたえられず。
 益※[#二の字点、1−2−22]明瞭になります、次代の芸術家の資質として求められているものが。
 高村さんのその表現は、それだけとしては適確ね。人間の精神の等身大の考えかたです。光太郎さんの現代の魅力はそこに在り、同時に、その魅力の故に、岸田さんなんかに引っぱり出されて、いくらか理性のくらい詩を瑞雲たなびく式に書いたりするところが、あぶないあぶないよ。こういう人の立派さに埒《らち》があって、そこからこぼれると妙な分裂がおこります。こういう人たちは総てそれをもっていますね、そして、そのことは決してその人たちの煩悶の種とはなっていないのよ。
 光太郎さんという人はここのすこし先に住んでいて、お父さん光雲のうちはすぐ庭のむこうです。今そっちは弟の豊周さんという鋳金家がすんでいるの。光太郎さんはアトリエ式の家に一人住んでいます。
 智恵子というおくさんは狂人となって亡くなりましたが、美しい人でした。大変やわらかい美しさ。そしてね、いつも光太郎さんのことを思って何か云っているのに、光太郎さんが見舞にゆくと、その顔が、自分の思っている光太郎さんだということは分らなくて、おとなしくお辞儀だけしてニコニコしているのですって。ひどく面白い切紙細工をのこして死にました。見舞にゆくと、あとやり切れなくて熱海へ行って、一晩お湯に入って来るのだそうでした。わかるわねえ。心のそういう苦しみ、妻のいとしさのそういう苦しみが、お湯に入らなければ何ともしのぎかねるというところ、微妙なものがあるわ。光太郎さんはああいう人で、温泉に自分の肉体をまかせたけれど、ひとによれば、人間の女をたよるでしょう。生活の破れかた、破られなさ、そういうきわどいところね。岡本かの子に死なれた一平は酒ばかりのんで泣いていたらしいわ。
 そういう体で経た経験があるのだから光太郎さんが美は弱いものでないという言葉にはこもっている力があるのは尤もです。私たちはその美感に支えられているのだもの。理屈一片にこの人間の心と体とが支えられるものですか。愛情というものだって、つまりはそこまでのぼる階《きざはし》ですもの。いつも思うのよ、人間の本当の美しさの感じが分ると、その人はそれ故に世俗的道義の典型になるところもあると。堅忍とか貞潔とか、石部金吉でなくて、しかもそれはその人にとって乱れがたい自然の統一となったりしてね。そういう美の感じが、代用品でも平気ですまされるというようになることはおそろしいことですね。「美について」は代用品でないでしょう、少くとも、著者が自覚のもてる範囲では。
 来年三月卒業のひとたちが十二月にくり上げ卒業になるので、いろいろと影響しています、東大は来年は夏休みなしになるそうです。
 肉はすっかり減って、一週間にせめて一度という位になりました。魚は不自由です、野菜もどうやらというところよ。牛乳はうちは半分となりました。ガスも電気もずっと節減。この間目白へ行ったらば、あすこの町会の貯金が二円(毎月)になった由。私のいたときは五十銭だったのが八十銭になったのに。僅か二ヵ月よ。そして公債も買うのですって。さち子さん、つらいわと云っていました。二円というのは、この辺なみよ。あの辺はそういうことも高率だし第一、うちはなかなかそれがむずかしいという人は一軒もないのだから、やり切れないというのもわかるでしょう? ユリが、よ。
 今うちの庭には山茶花が美しく咲いています。赤っぽいのはいやに上気《のぼ》せたようで苦しい色ですが、これは白いところへほんのり端々に紅がさしていて清楚可憐よ。机の上にずっとさして居ります。
 十條に白い山茶花が咲いていた庭、そこでたべた味つけ御飯。花もいろいろの眺めね。
 この山茶花はもう古木なのよ、絶えてしまうと惜しいと思います、何とか植木屋と相談して永もちさせたいわ。
 たまによくこんなことも思うのだけれども、さてとなるとやっぱり本をよむ、かく、ほかの用事で実現せず。実現しないところがいいのかもしれないわ、それが自
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