然かもしれないわ、ね。
空想のなかによく浮ぶのはもう一つのこんな場面。簡単な私たちらしい餉台《ちゃぶだい》。そこのこっちに坐って御飯たべていらっしゃるの。こっちに坐って見ているの。そうしてみていると、そうやってものをたべていらっしゃるその様子ごと、自分がたべてしまいたくなってゆく心持が実にまざまざよ。まるで口のなかが美味しくなってゆくようよ。全くさぞさぞおいしいことでしょうね。万葉集にはいろんなひとの面白い歌があるけれど、その人をたべたいという表現はないわ。昔のひとは私ほどくいしんぼうではなかったのかしら。もしかしたら、そんなものに匹敵するほど美味しさのあるものなんかなかったのかもしれないわね、何しろ椎の葉に盛る式の食物だったのだから。食べてしまいたい程というのがもし近代の表現なら、そこに又柳田国男のよろこびそうな要素があるわけね。ではのちほど。
十一月十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
十一月十二日 第五十信
きのう、あんまり愉快そうにお笑いになったもんだからときどきあの空気が顔のまわりにかえって来て、何だかいい心持がします。時々ああいう風に笑いましょうよ、ね。心持いいわ。本当に、心持よい、日向のようにいい心持だわ。あなたも?
あなたの語彙の自在なのにはあきれるほどよ。しかも適切で。
きょうは、先ずいいおめざがあってホクホク。それに天気はいいし。勉強部屋をゆっくり自分で掃除して落付いて書きます。
本当に初冬らしくなりました。机の下にもうタドンをうずめた足あっためを使いはじめました。今年はどうやらタドンは足りそうよ。目白からもどっさりもちこみましたし。あすこの二階は足あっためだけで大体間に合っていましたが、ここではどうかしら。でもなかなか日はよくさしこんで、雨戸がぬくもっているのを閉めますから、階下よりずっといいのかもしれないわ。目白はいつも乾きすぎて上気せるようで苦しいほどでしたが、こちらにはそれがなくて、楽です。時々体によくないと感じる位だったのよ、家にはそれぞれのくせがあるものですね。
眼の本漸々! 私は眼は近眼だの乱視だので、去年みたいなさわぎもいたしますから、随分大切にしています。寧ろ恐縮しているわ。毎朝ホーサンのうすいのでちゃんと洗います。その点ではいい躾よ。眼が機能的な故障をもつということは重大な、人生的なことですね。
西村真琴と云って『大毎』の宣伝部か何かに今働いている人は、昔知っていて、理博です。自然科学の面白い話なんかきいたことがあったけれど、この人が眼底剥離とか云う病になってもう顕微鏡が見られなくなりました。そこで職業がかわり、暮しが変り、そのように職業のかわれる素質の俗的発展が著しくなってしまったらしい風です。眼は大切ね。
協力の本、うれしいと思います、パラパラと頁がめくられる。仰向きになっている手にとられて、何となしあちこちがよまれる。暫く伏せられていて、又とりあげられる。これは私にとっては感覚的です。よまれるというこんな感じを感じる作者は一寸類例なしであろうと思います。そして、読むということにも、いくらか似よったものがあるかもしれないと思ったりします。
「乱菊」の中の言葉、そうね、小店員の方がふさわしいわね。フランスの本のことは、かきかたがやっぱり靴をへだててというところなのです。私は、そのことを云いたかったからこそ、あれにふれたのよ、わざわざ。民族の経験を余り常識は大ざっぱに、現実からちがった理解しかしない癖がひどくなっているから、それであれにもふれたのに。残念だったわね。「思う」の余波がそこに及んでいるのです。あなたのお手紙のようにわかりやすく書けばよかったのだけれど。自分と結びついて使う言葉について、余り選びかたがやかましいと、やっぱり瓜だか爪だかはっきりしないところも出るのね。でもやむを得ないということの方が大きくて。
友情のことも、こんどすっかり自分でかく本(プランを)では、その点明瞭にしましょうね。
前のときも同じ感想を頂いて、今度は比較的気をつけて展開はしたのですが、土台が、性別を中心にして求められているので、そういう欠点が生じるのです。性別から出発することは違っていると云いつつも、ね。
「突堤」のはじまりは、あれを私が淀橋にいた間に書いたということから、作品としては不成功な書き出しがくっついたのです。全然客観的にみれば何にもあの小品にあの前は不用であると思います。でも、とってしまう気がしなかったの。あざのようなものね、云わば。
本当に、あとでくりかえしてよまれても味も匂もあせない本、そういう本をかいて行きたいものです。
それに私にはいろいろ自分への希望もあって、最も親密によんでくださるひとの精神と情緒との隅々まで、くまなく触れるよう
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