一生懸命に仕事をしていい勉強をしておいて、そういう折は御褒美に、暫くは仕事のことなんかポイ御免蒙って、おそるべき牝鶏かみさんになって見たいものだと。クウコッコッコ、クウコッコッコとね。なんにもほかのことなんか考えたくないわ。それで御異存もなしという位に日頃からの心がけ専一に仕事をして置こうというのだからすごいでしょう? 太郎はこういう形容はごく感性的に、日本のゴと柔らかく発音しないで、su goi da ro と goi にはっきりアクセントつけていうのよ。
 戸塚のおばあさんのお見舞に行ったらばね、おばあさんの方は、小さい溢血だったそうで舌ももつれず、手足もしびれず、ちょこなんと床の上に坐っていて、旦那さんが肺炎のなりかけで熱出して、胸ひやしてフーフー云って臥て居りました。あっちの細君は四国巡回の講演です、銃後奉公の。では明日ね。

 十一月六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 十一月六日  第四十八信
 国府津のには番号がぬけましたが四七に当るわけね。
 さて、いかが? 十月は仕事の仕度をしなくちゃならないと思って気を張って、いくらか手紙御無沙汰になってしまいました。
 かえって来てみると、国府津では今度本当に休んで来たことを感じます。丁度いろいろと疲れが出る頃、足かけ四日バタバタしながらものんびりして、頭のなかがすっかり静かになって、きめのこまかい感じにしっとりして大変いい心持よ。こちらへ住むようになってから二ヵ月経って段々落付き、家族のもののいる中での日々が、やはり一人きりで二六時中気をはっている生活と、どこかで非常にちがって、少くとも今の自分には薬になっていることも感じはじめました。
 あなたはそういうこと予想していらした?
 こうしてみると、一人で女中さん対手の生活というものは、自分ではのんきにやっていたつもりで、実は輪廓をくっきりと一人で始末したところがあって、ぼーっとしたところがなかったと思います。これが又先でどう変化してゆくかは分らないけれども、少くとも当分、こうやって、うちのものがごたごたしてやってゆくのよかったと思います。
 ですから思ったよりよかったということになるのよ、どうぞ御安心下さい。勉強するために一日中部屋にいて苦情が出るわけではなし、お喋りの中に入ったからと云って苦情が出るわけではなし。いずれにしろ私が今はここでよかったと思って暮せていることはお互の仕合わせね。あなたにしろ、すぐ通じるからユリが工合のわるい巣箱で絶えずパタパタやっていたら、やっぱりお落付きなさらないでしょう? そのことではびっくりしたことがあるのよ。九月頃引越しのことで私がちっともおちつかずせかついていたとき、そちらも何となしそういう空気で、生活の流れの生々しさを深く感じたことでした。私はよく生活しなければいけないのだ、と改めて思いもしたのよ。
 生活って面白い生きたものねえ。そういう流れのまざまざさでは、私たちに距離がないようなところ。
『婦人公論』で、「我が師我が友」というのをずっと出していて、阿部次郎だのいろんな人がかいているの。正月私のをためしにのせてみるのですって。これから二十枚ほどかいてみます。何かあのひとたちの間では目算があるのでしょう。私は自然に書けるものを真面目に書いてみて、それでのせられればよしと思う程度の心持で考えて居ります。
 きょうは三笠へ電話かけて、教えて下すった本をきいて見ましょう。
 きのう春江という咲枝の姉さんが一寸来て、面白い話をして行ったわ、そこのうちのおかあさんは七十歳でおじいさんは八十です。七十のおばあさんは勝気な江戸っ子で多勢の子供や孫を育て、大きい家をとりまわしてこれまで暮して来て、数年前突然喀血しました。肺の故障ですって。それでもいいあんばいに大したことなくて、東京のうちに暮し、八十のおじいさんは茅ヶ崎とかに下の弟の夫妻といるの。おじいさんは謡をやり、和歌をよみ、古今の歌をよむのですって。すると、おばあさんがふっと本をよみはじめて、古典をずっとさかのぼって、この頃は万葉に熱心で、看護婦対手にわからない字があると字引きひっぱってなかなか本を集めて一日あきずにやっているのだって。そして、ぽつぽつは自分もつくるのだけれど、おばあさんのは万葉調なのよ。古今は本流でないというのですって。おじいさんは古今で「ふやけたチューブみたいに」だらだらぬるぬると多作するのだけれど、おばあさんの方は「なかなか出ない方でね」ですって。茅ヶ崎と根岸とで歌のやりとりをして、この頃はいくらかずつおじいさんに万葉風をしこんでいるのですって。左千夫がおばあさんのお気に入りだって。いい歌があると、丹念にしおりして春江のところへよこして、あとで、どうだったい? ときくのですって。おばあさんは「おかずの
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