家具にこしらえたのなんかその筋道が分ってやはり面白いわ。父の仕事の関係から、子供のときから、ゴシックだのルネサンスだのバロックだのアンピールだのときいていて、そのぼんやりした概念はもっていて、今は一層の面白さ。今父がいたらきっと面白いでしょうね。私は、おとうさまおとうさま一寸おききなさい。こういうのよと喋ったでしょうから。父の時代の芸術史は外側から様式だけ扱ったのですものね。たとえばバロックという、あの人間が背中をまげて大きい柱の支柱飾りとされている様式なんかだって、ルイ時代の宮殿生活そのものがローマ帝国をあこがれて、神話のアトラスを柱飾りにしたのでしょうか。だってあれは柱を負っている人間の姿で出ているわ。子供らしく面白がっているようで、すこしきまりわるいようですが、御免下さい、余り面白がらないことがどっさりだから、まあこの位は健康上お互様にわるくもないでしょう。
ああそれからきょうは、一昨年みんなが私たちにくれたカーペットを出しました。こっちならゆったりとひろげて日光に直射もされない場所がありますから。ずっとしまって大事にしてあったから全く色もあざやかよ。それを敷きましょう、ね、そして、あしたは、新しい生活の条件にふさわしく一ついいことをするのよ。太郎に生れて初めて顕微鏡というものを見せてやります。太郎の生涯に一つの新しい世界をひらいてやるのよ。いい思いつきでしょう? 午後二三時間さいて。うれしい思いつきだと賛成して下さるでしょうと思います。大人がきまった顔で集って、何かたべてみたって初りませんから。これは今年らしい、そして今年の十七日には最上の行事でしょう。
中公の本やっと目鼻つきます。
あなたのトラ退治も漸々で安心いたしました。よくは分らないけれども、いくらか白眼がさっぱりして来たように見えます。この間うち本当にうるさそうな眼つきしていらしたから。
すこし足なんかつめたくなりはじめましたけれども心持よい時候になりました。あの菊はいかが? この次の夏にはいい匂の百合の花をおめにかけたいと思います。今年はありませんでしたから。もう程なく例によって赤っぽいしまのどてら(薄い方)お送りいたします。小包にするとき暖く日にほして(今は縫い最中)ポンポンポンと背中のところたたいて、よく衿のところを合わせて、そして送ってあげるのよ。
あしたはお天気がいいといいと思います。では火曜に。
十月十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
十月十八日 第四十五信
きょうは雨がわり合いい心持の日です。
いかが? そちらのきのうはいかがな一日でしたろう。私はね、早くおきて、午前中ずっとよみかけのものを読んでノートとって勉強して、午後から太郎をつれて目白へ出かけました。
太郎は学校が近くて、通うのに電車にのらず行っているものだから、混んだ電車なんか迚も不馴れで一生懸命でキョロキョロつかまえた手を決してはなさないの。
目白へ行って、顕微鏡で人間の血液、兎の血液、蛙、やもりの血を見たり、自分の爪の間にたまった黒いものの中にどんなこわい妙な形のものがあるかを見たり、髪の毛は松の樹の如し、という見聞をしたりして、お菓子を三つもたべて五時ごろ出かけて、目白の通りのビリヤードのすぐよこの鳥常という昔から出入りの店へよって、御馳走のための買物をして六時一寸すぎかえりました。
二階へあがったらね、となりの皆で食事する方に奇麗な菊がどっさり鉢にさして飾ってあります。火をおこしおなべかけて呼んだら、国男さんと太郎が横一列にあらわれて、どう? ちゃんと並んで坐って合唱なの。「おめでとうございます」凄いでしょう? 見ると、二人は胸に赤っぽい菊の花を飾っているのよ。ほかにおしゃれのしようがないからですって。
やがて、真赤なズボンをはいた泰子がああちゃんにだっこされながらケトケト笑って(これは偶然です、残念ながら。やす子にはおめでたいのが分らなくてね)あらわれて、そのああちゃんは青いような縞のきれいな外出着で、やっぱり髪に花つけているのよ。寿江子のものぐさが夕飯に着物着かえて現れたという、全く驚天動地の盛会でした。
こんな盛況があろうとお思いになって? 一人一人敷居のところで今晩は、ととても気どった声を出して入って来るのよ。見せてあげたい姿でした。御覧になったら、あなたはきっと、むせておしまいになったでしょう。余り素晴らしいから。
ゆっくり御飯すまして、国男さんが、かけ時計の高さを直してくれて、それから一寸三人で(咲と)一仕事やって熟睡いたしました。
きょう、太郎をつれて国と三人で国府津へゆこうということになって、国は植木屋の用事、私はすこし片づけもの(この間から私たちの話に出ていた)をして来ようと思ってあらまし仕度したら、この天
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