ります。十二日から防空演習が二週間はじまります。二十五日迄。消化が主です。パンフレットをよんでいたら、余り焼夷弾を花火のようにかいてあって、却って心配になると同時に、良妻の本能を目ざまされて、うちがやけて私たちのものがなくなるのはともかくとして、万一真冬にそちらが何もナシになったら困ると急に困った気になり初めました。それについて一つ御勘考下さい。今着ていらっしゃるようなものを、こちらへとることはどうでしょう。こっちなんかね、木と紙よ、そちらは少くともコンクリートよ。来年になって冬ものを一つもないようにしてしまって大丈夫でしょうか(そちらに、のこと)一つ考える必要があります。夏なんかつまりはどうにでもすごせますけれどね。
本のことも改めて気になり。
今文学史をずっと一とおり目をとおしノートとって居ります。ジョルジ・サンドと同じ時代に、フロラ・トリスタンという人がいたのを御存じ? 私は存じませんでした。この女性はサンドとは一つ年長ですが、サンドが晩年には田舎の家の領地へ引こんで、「悪魔ヶ淵」その他、初期の作品の発展ではない方向に向ったとき、フロラという人の方は一貫して、歩み出しをつづけた婦人だそうです。ゾラの時代ね。こんな人のことを知ったりして、それらは、婦人の作品で物語る女性史の中へくりこまれます。フランスは女詩人をどっさり持っていたのね、その人たちは前大戦からその後にかけて大抵活動をやめてしまったのですね、サロン的詩人であったというわけでしょう。閑雅に咲いた花というわけでしたろう。生活の花ではなかったのね。そういう時期に、各国の婦人作家がどう暮したかということも考えて見ると面白いわ、ジイドみたいに聖書ばかりよんでいた人もあるのですし。ブルージェが「愛」だの「死」だのという観念ぽい題の故もあって今の日本で大いによまれているのは妙なことです、ドルフュスのときブルージェは大きい虚偽の側に立った恥を知らない男です。
この頃はレオン・ドウデエの本が訳されます。どうでえと平仮名に書いた洒落のわけでもないのでしょうが。
范とお書きになっているって。そうだったのね、私は字なんかおちおち見ていなかったものだから。泉子がたよりをよこして、こんなこと書いているのよ。「好ちゃんは私を覚えて居てくれるでしょうか、ねえおばさま。好ちゃんは私の顔や声忘れはしないかしら、ね、おじさま。わたしは好ちゃんに会いとうございます。泣きたいほどです。でも私は涙が出ると、いそいで鏡を見て、ちゃんとして、ちっとも泣きなんかしないようなふりをいたします。そして元気な手紙をかきます。私は好ちゃんもきっと時々はせつないときもあるだろうと思って、私が泣いたりしてはわるいと思いますから。でも私は欲ばかりだから、きっと好ちゃんは、私のことをちゃんとわかっていてくれると信じて居ります」
もっといろいろ書いてありました。そのたよりをよむと、泉子のぽーっと上気した顔つきや単純で熱烈な表情や身ごなしがまざまざとして。泉子もいつか成人したものと思います。好ちゃんのたよりおうけとりになるでしょう? 相変らず精気にみちた様子でしょう? こちらへはたまにたよりよこすだけですが、それでも片鱗のうちによく全貌がうかがわれます。本当にすっとするような男らしい美しさだから、泉子が思わず私に訴える思いのあることは十分察しられます。泉子の恍惚ぶりが決して不思議でなくて、その自然さがやはり奇麗だからいいものねえ。そういうときの泉子のきれいさは、花びらの真中に見事な蕊をもっているような、微塵空虚なところのない姿ですね。あなたもあれを御覧になればきっと、そうね、何と仰言るかしら。仰言る声をききたいものだと思います。月曜におめにかかります、十七日から三日間お休みつづきよ。
十月十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
十月十六日 第四十四信
きょうかえって見たら十三日のお手紙着。楽しみにしてね、先ず封を切らないまま二階へもってあがって、それからすっかり部屋の掃除をして、途中で買って来たきれいな淡桃色のカーネーションを机の上に、それから赤い小さい玉のついたつるもどきを北側の窓のところにそれぞれさして、すっかり顔を洗いいい心持になって、開封式。きょうはうちは(というのは二階はのことよ)あしたのお祝の準備でうれしいことのあった日で、私も思い設けぬヴィタミンをのむことが出来たし、本当にいい午すぎです。小包二つも送り出しましたし。本とタオルねまきに紐を。本は御注文のがないのに、ほかのあれこれ入っていてつまらなくお思いになるかもしれないけれども、まあもし気がお向きになればと思って。文庫類の品切れの多さはどうでしょう。
『文学史』、一昨日あれから神田へまわりました。東京堂で年鑑を見たらアルスから出て
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