く教えてやってくれるだろうからいいのだけれど、十歳前ではおっかさんからはなしてつれてゆく自信がないから。太郎には乗馬と泳ぎと機械体操だけは、ちゃんとしこんでやらなくてはいけないと本気に思っているのだけれど、太郎は運動ぎらいで、運動会の予行演習があると、おなかが痛くなってしまって(※[#疑問符感嘆符、1−8−77])早びけしてかえって来てしまうのよ。頭からっぽのスポーツ好きも悲しいけれど、こういうのも些か苦手ね。これからの男の子はどういう面からも自分の肉体を水陸でこなしてゆける実力をもたないと、或る場合、下らなく消耗しなければならないのにね。この間九州で汽車の事故がおこったときだって、死んだのは女、子供よ。泳ぎを知らないから。私は運動会――競争そのものはしんからきらいだったけれど、体操や何かはきらいではなかったのに。ものぐさというのでもないのだけれど、太郎のは、ね。緑郎がそうでした由。緑郎は最後に出る船でかえるでしょう。この間イギリスから最後の船が日本に来て、それと交換のようにリスボンから日本の船が出るらしいの。外務省へ電報が来ました由。緑郎ももう二十九か三十よ。どんなに変ったでしょう、ひどく変ったことでしょうね。どうかよく成長しているようにと願います。緑郎がかえって、もしこっちにいるようだったら二人の音楽家で、まア私はどういたしましょう。迚も身がもたないでしょうね。緑郎のことはまだ未定ですけれども。
 トラさんのことね、硼酸《ほうさん》をうすくといたもので洗えるといいそうですが。それに水が硬水ならば、湯ざましは軟水になっているから、ということを云っていた人がありました。どびんのお湯がさめたのは、水道のよりいいというわけね。硼酸のうすいのはなかなかいいらしいのですけれどもね、薬と併用してゆくと。どこかの小学校で殆ど全部かかっていたのが、それを三四ヵ月つづけたら殆ど全部なおりましたって。切るなんていうのはよくよくわるいのらしいわ。私は空気浴をやって行こうと思って居ります。その間にこすればいいのでしょうね。今健康ダワシをたのんであります、これ迄ずっとお風呂のときつかっていたのですが。
 それからね、これは歯のことですが巷間の歯ミガキというものは、いろいろと歯の表面や何かをいためる薬を入れているらしいのね、おちる[#「おちる」に傍点]という素人らしい効果のために。シソーノーローは大分そのためらしい由です。それで、塩のことが云われていて、硬い毛の歯ブラシで塩をほどよくつかうと、歯ミガキがもたらす害は少くともないということです。勿論決定的には云われないのでしょうが、この頃のように材料すべてがむずかしく従っていかがわしくなると、或は一考の価値あるかもしれませんね。栄さんが、髪を洗うのに、シャンプー(花王や何か)つかいすぎて今前のところがひどい有様になっているのよ。顔ちがいがするほどよ。シャンプーとか歯みがきとか、要心ね。あなたは普通のシャボンで髪洗っていらっしゃるのでしょう? その方がいいわ。私はおはげはこまるからこれからはふのりで洗いましょう。布地をはったりするのりよ。栄さんたら、どんな短いものでも書くときは髪を洗いたいんですって。可哀そうに! 三四冊の本のためにあんなになるなんて! しかも内からではなくて、外からあんなになるなんて。私の手を洗いたい癖の方が余程安全ね。何か書いているとき何度洗うでしょう、実際|膏汗《あぶらあせ》も出るのでしょう。いろんな細かい仕事をする人が神経の調節のためにいろんな癖をもっていて、必ずそれをやるのは可笑しい、しかし生理的なことなのね、きっと。近日うちに達ちゃん出かけるかもしれませんね、中旬か下旬に。
 夜着、お気に入ってうれしいわ。私は大変気に入っているのよ、では明後日に。

 十月十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 十月十一日  第四十三信
 今夜は四日と八日とへの御返事。本気で勉学をはじめると、それでも御褒美が出るからうれしいことだと思います。
 四日のお手紙の諧謔調は、ひとり読むには余り惜しく、かたがた些か恨みのこもる人も居合わせたので(寿)声高らかに音読して一同耳をすませて拝聴いたしました。国男がニヤリとした顔は御覧に入れたく、ああちゃんは(咲)まア可哀想にねえ、あっこおばちゃん、と同情し、寿江子はヘヘヘヘと笑いました。それでもパニック的状況がすんでから手紙を書くというところまであなたの御修業がつんだということは、あなたの誇りでしょうか、それとも私の恥でしょうか。極めて微妙なところであると思います。この間の消息はスウィート・ホーム(!)の門外不出に属すわけでしょう。冬シャツのこと、それからもう一組の袷と羽織、おうけとり下さいましたろう。
 ところでね、今、私は少しそわついて居
前へ 次へ
全118ページ中101ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング