わけです。
 さて、十三日のお手紙はいかにも用向のお手紙ね。これは竹の垣根のすこし古びたののようよ。パラリパラリと大きい字があって、間から風がとおしているようよ。(慾ばり※[#疑問符感嘆符、1−8−77])
 さあ、いよいよ落付いて、仕事をすすめなくてはね。私は実にうまく引越して、ギリギリの一文なしよ。だからあなたに年の末までをお送りしておいたのはなかなかやりくり上手だったということになります。そのうちには又ポツリポツリと雨だれを小桶にうけておきますから。
 夢の話大笑いね、でもなかなか哀れふかいところもあるとお思いにならないこと? あなたは本やに何とか云っておくれたことを話していて下さるのよ。こうやって、云って貰うのは何て楽だろうとほっこりしてわきにいるの。大変たのみになる心持だったことよ。実際だったら、あなたはそんなとき云って下さる? 余り心理的で、陽気にふき出してしまいました。こんなのだって、かりに私が本やに話したりすると、本やは本気にしないわきっと。余りつぼにはまりすぎていて。人間の心もちって妙ね。では今夜はこれで終り。咳すこし出ますが大丈夫です。協力は笑草ほど増刷いたしました。

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[自注7]あのダムを必要によってこわしてしまったというニュース――ソヴェト同盟の労働者は、一九四一年の秋ナチス軍の手から守るためにドニエプルの大ダムを自ら破壊した。
[#ここで字下げ終わり]

 九月二十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 九月二十一日  第四十信
 きょうは日曜日で日蝕が〇時四十六分一秒からはじまるというので、国ちゃんがガラスをローソクの煙で黒くして太郎も私もそこからのぞきました。真赤な太陽の右下のところから欠けはじめました。
 井戸がえをはじめていて、七八人の人が働いていますが、繩をひっぱる女も三人ほど交っています。あの昔きいた井戸がえの一種独特なかけ声をやはり今でもやるのね。職業の声なのね。
 市内ではこの頃万一の用心に井戸掘や井戸さらえがあっちこっちで行われて、職人が不足していて、市の近郊の職人がひっぱりだこの由です。井戸をつかえるようにすることや、水洗の厠の外に普通のをこしらえることだの、様々の仕事です。太郎は生れて初めて井戸がえを見て大変珍しそうです。僕手つだっていいかしら。あのつなひっぱると、つな引のときつよくなるんだネなどとやって居ります。
 きのうはてっちゃん初のお客によってくれました。私も段々馴れはじめました。いろいろなことが段々気にしないでやれるようになって来て(日常の用事よ。たとえば雨戸しめるということにしろ。馴れないと、あすこしめ忘れたという風で)これで、私の下宿出来るところとしたら最も自由のきくところであるということがわかって来て、いろんなことにはこだわらないで自分は自分としてやってゆくことを覚えそうですから御安心下さい。
 初めのうち、国さん風邪で事務所休んでいて、起きるとから寝るまでラジオなので本当に閉口しましたが。私はよくよくラジオぎらいなのよ。あの雑音は実にいやで、荷風のラジオぎらいもわからなくない位。だからどうしようと思いましたが。きのうきょうは静よ。助ります。その代り寿江子のピアノね。
 女中さんが一人留守で、大いそがしよ。やす子が全然弱いから完全に一人の手をとります。
 いかが? こんなに日常の暮しは手紙の中に照りかえします、面白いことねえ。夜こわいというような思いをしないでねられるのは一徳です、大変神経に薬でしょうねえ。こういう目に見えない休みがあるのだから、女人夫をやった疲れが直って調子がわかったら大いにがんばらなくてはね。起きぬけにラジオきかなければならないのが辛くて、これだけはいやです、人手があれば本当にせめて朝食だけは雑音ぬきでたべたいと思います、今に何とか工夫するわ、つめてものをかき出したら。もとだとお茶とパンですませたのに、今はそれがききませんからね。自分だけ自分で運んで朝は別にするかもしれないわ。
 きのう二十日でしたが、電報どうだったかしら。適当なときに届きましたろうか。森長さんには三通のことともう一つの用件をよくつたえました。話の意味はよく分ったそうでした。何にもそういうことは今話に出ていないそうです。
 達ちゃんのこと、実現したら余り見つけものすぎる、という位の感じですね。専門がああいうのだからそういうことは殆ど不思議だと紀も云っていました。不思議にしろ、そういう不思議は大歓迎ね。
 山崎のおじさんが御上京で三軒茶屋の家にいられます。ハガキが来て(目白宛に)来たいとおっしゃるから、いつも、あっちからばかり来させてわるいから今度は私の方から訪ねることにしました。金曜日そちらのかえりにずっとまわりましょう。いつかは五年前、
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