目白へ引越したばかりのとき来て下すったし、今度はこっちへ来たばかりへ来て下さるし、奇妙なめぐり合わせね。田舎ではすっかり呆けたようにしていらしたけれど東京ではいかがでしょう。やはり東京が気が楽なのね。大した家柄のおよめさんなんておじさんには年とともに苦手になる一方なのでしょう。まして息子たちは、皆負傷してかえって来ているのだし。美味しい鳥肉を買ってもって上りましょうとお約束してあります。目白の鶏屋がよいから。前から電話しておいて、よってもって行きましょう。私はあの山崎のおじさんという方には親切にしてあげたいところを感じます。年をとっていらして、それでいて子供のようなところ世智にたけないところがあってね。およめさんたちはそういうところを意気地ないと見るのもわかりますが。あっちを訪ねるのにいい機会でしょう、こっちもいくらか困るのですし。つづき合いから云って、私一人食事のお対手するのは妙で、やはり家のお客様とすべきなのに、旦那さんはそういうつき合いはきらいですからね。おっくうがるからね。すこしゆっくり滞在なさるのなら又そのうちにおよびして、二階で何かやって国男たちもお客にしてしまいましょう。そうすればいいでしょう。私が主婦役一人でね。そういうところのやりかたについてもいろいろとのみこめて来ました。二階をすっかりつかっているのはそういうとき便利です。
 連日の女人足の疲れ、相当ね。単純なつかれではありますが。疲れて風邪気でもあるから、本当は私は少しクンクンになりたいところです。クンクンになって、あの美味しくとけるようなボンボンをたべたいと思います。
 あんなボンボン類なしねえ。美味しがるのを御覧になれば、あなただって思わずもっとたべさせたいとお思いになるのも無理がない次第でしょう。この節はなかなか手に入りませんでした。だからもし見つけたら私は一つや二つ夢中と思うわ。味なんか分らないでしょう。半ダースもたべてたべて、ああやっとおいしさがしみとおったわというのでは恐慌かしら。恐慌的ということのなかにも愛嬌のあることだのうれしいことだの恐縮なことだのがあったりするわけなのですから、ユリのボンボン好きぐらい、ねえ。理の当然ではないでしょうか。それはみんなユリが丈夫で、いい味覚と特別に高い趣味とをもっているということにほかならないのですものね。
 ボンボン貪慾についてあなたはすこし辛棒づよくきいて下さらなくてはならないわけもありそうです。だって、知っていらっしゃること? あなたよ、初めてあの蜜入りを私におたべさせになったのは。人間の味うものの範囲も考えてみればひろいと感服いたします。
 私は今自分のまわりに浮んで来るいろいろの情景の中にいて、何かおとなしい小さい声で物を云っていたいのに、ピアノは何てせわしくうるさく鳴っていることでしょう。あなたもうるさくて? 今何にもあんなに鳴るものなんか欲しくないのに。ねえ。
 困った心持になって凝っとしていたら、ふっとやんだわ。暫くこうしていて間もなくねてしまおうと思うの。
 子供は、早くあしたになればいいと思うとき、早くねてしっかり目をつぶって、あしたが早く来るようにするでしょう。自分のいたい世界だけになるようにするでしょう。それとおんなじよ。

 九月二十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 九月二十二日  第四十一信
 けさはがっかりいたしました、と云ってもうかつなのは私だったのですけれど。火曜日はお休みと気がついたのが九時なのよ。さあ、とあわてて仕度して出かけたってついたのは十一時すこし前。二百十何番というのなの。午後二時にはお客の約束あり。仕方がないから、切り花をいれてかえりました。ときならぬ花を、変にお思いになったでしょう。ユリがてけてけあすこ迄行っての上のおくりものと、お察し下すったでしょうか。
 それから毛布送りました。お寒くはなかったでしょうか、この間うち。二枚つづきの毛布と麻のかけぶとんだけでは必しもぬくぬくとした寝心地ではなかったでしょう。気にかかっていて、やっとお送りしました。上手に洗濯して来て大変柔くフクフクして居ります、但し毛のあるところは、の話よ。いくらか枯れた芝生めいた毛布で、地《ジ》が出ていても今のスフよりは何層倍かましでしょう。
 きのうの手紙の終りに一寸かいていたように、きょうは薬とりかたがただったのに。
「ジョンソン博士伝」を(上巻)よみ終りましたが、大変偉大と思われているジョンソンがやはり十八世紀年代という時代の特色は十分もっていて、その有名な警抜さというものもつまり現代にショウがいると同じ本質のものですね。つまり常識です、ややつよい匂の常識です。金銭とか社会的地位とかいうものに対する見解も、当時のイギリスの社会らしく、その差別の適当であることを認
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