所の顕治宛 山口県島田より(封書)〕
七月二十五日 島田からの第五信
二十二日づけのお手紙。きのう。ありがとう。達ちゃんの様子は分らないの。今日迄のところ、あの手紙に申上げたところ迄しか分っていないし、Tというひとが広島へ部分品を買いにきのう行ってよって見たがやはり様子は不明。一昨日友ちゃんが速達を出しましたが、やはり音沙汰なし。(きっと手紙なんか書いてはいけないというのでしょう、今度は全体そうですから)そこで、きょう友ちゃん、息子、おばあちゃんの一隊が、六時四十五分の上りで探険に出発いたしました。この前のとき泊っていた宿やや、会った人がありますから多分何とか様子がわかっておかえりのことと思います。生憎雨になって来て俄雨か本降りか降っている雨も我ながら分らないというふりかたです。けさ初めて一輪咲いた紫色の朝顔にその雨がかかって居ます。すぐ前のとうもろこしの生々とした青い葉がその雨にぬれて輝やいています。
そういうわけだからユリの先輩ぶりも一向に発揮されず、お手紙にあると同じように、マアきょうは涼しいから臥《ね》ていても楽だろう、などとたよりのない評定をしているだけでした。
紀《タダシ》のこと、そうお? ちっとも知らなかった。だから私たちみんな、仕度なんかどうだっていいんだから早くちゃんとしろとあんなにすすめていたのに。寿江子何をまごついたのか一筆も申してよこしません、もう東京にいないのでしょうね。いやんなっちゃう、というのは、この間、お中元の買物をしていて、偶然出会って、丁度私お金が不足して、あっちはボーナス間ぎわだからと大見得切って十円かりていたのよ、いやねえ。あのひとは太原にいて、死にそこなったのよ。可哀そうに。
こちらの調子は、順調です。順調ながら、やはりいろいろとあって、会社長になっているYが、自動車自分でかりて儲けたいのね。そこをこっちへ人を入れたんで、いくらかお冠りらしく、自分が雇えばお気に入りのTが、宮本にいるとお気に入らずのTだというような微妙なところがあって、二三日お母さん神経にさえていらしたけれど、どうせああいう男なんだから、事務の打合わせという範囲で毎日の電話もきいておおきなさいと云い、その気におなりです。
達治さんがいたときには何とも云わざったのに、ねえお母さん、と友ちゃんがしきりにいうが、それはおのずから又別で、お母さんが直接Yに会って毎日仕事していらっしゃるのではないから、やはり電話もしきりとかけるわけのところもあるでしょう、Tが間で、又それぞれ才覚を働かせもするし。
面白いでしょう、今石粉を一袋 1.10 売りました。めくらじまの野良着に合羽姿の爺さんで、石粉かどうかと散々念をおして、それからおつりに新しい五銭で三十銭やったら、ひっくるかえしてみ、とっくりかえしてみて、五銭かのうと云って、到頭どうしてもうけとらず、元のととりかえました。この頃はさいさい銭がかわるけに、わかりまへんで。というわけです。新しいおかね、もとのお金へのこんな感覚。お百姓の心持の生きた断面ですね。
私は、やっとこの二三日すこし落付いて、体の調子もよくなって来ました。今年の夏は、しかし不順ねえ。腸が変で薬のんでいたとき、あっちこっち同じような苦情でした。おなかは大丈夫でいらっしゃるかしら。ベリンスキー読んで居ります。「一八四六年の文学観」はなかなか面白いし、有益であるし、近頃愛読のものです。(だが、やはり著者の生きた時代の到達点というものを考えさせる限度をもちつつ。)
あら、又石粉が欲しいひとが来ました。今度は売れないわ、だって四十キロは一円十銭ですが、何合というようなのは分らないもの。今は何をつくのだろう、表をついたりするのに入れるのだそうですが。この間うちはらんきょうと梅をつけるのに塩が繁昌したし。らっきょうをらんきょうというのね。
私のかえるのは、勿論いろいろの事情とてらし合わせていたしますから御安心下さい。
ところで、きょう、ユリの左腕は惨たる有様なのよ、あわれ玉の(腕《うで》に非ず)かいなも虫にくわれて、赤ブツブツで、丁度この間の輝坊のようです。ノミは少いので、よろこんで御報告いたしましたが、ここにも今年は家ダニがいます。全国的なのかしら。東京は南京虫のいるところは凡《およ》そどこときまっていたのが、相当どこにでもいるようになったし家ダニが又あっちこっちに発生しました。去年ぐらいから。去年はここにこんな悪虫はいなかったのにね。ここに出来ると、家は古いし、退治が困難ね。ネズミにつくシラミですが、ネズミの体をはなれても殖えて、人間の皮膚をさすしもぐり込むのよ。いらいらと迚もいやにかゆくてなかなかなおらず、ひどい痕をのこします。おみやげは何にもないからせめてこの虫くい腕をお目にかけましょうね。これ
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