]は正確にきこうとしないのよ。
 外交と云えば、この間の丸善のに、ハバードで出る外交の本の広告があって、十六円で閉口ながら面白そうでした。もしお気が向いているなら注文しましょうか、ああいう風にまとまっているのは余りこれ迄もなかったようです。War & Peace in Soviet Diplomacy. ハバードだのその他の監輯の下に。一番終りの裏に出ている広告よ。これには御返事下さい。ドイツ語の本も入らず、英仏入らず。日本は完全な島国風景になりましたね。種本のなくなった日本の文学・評論が、これからの数年間いかにのびるでしょうか、面白いみものでなければなりません。現実はどしどし推移して行っていて、それを、本をとおして模倣していたような政策家たちが(各方面の)もし現実を洞察し得る実力に欠けていたら、独善に陥って益※[#二の字点、1−2−22]自負しているなら、どういうことになるでしょうね。これも極めて興味ある歴史の光景です、しかしその興味は具体的、また深刻でね。云いかえてみれば、ここにいて東京から来る留守居の手紙に、八百屋の店には玉葱とモヤシしかなくて、という、その生活をとおしての興味で、なかなかの肺活量を必要といたします。
 かんづめ類はこっちにもありません。かんでなくてびん[#「びん」に傍点]よ。これから慰問袋も弱りですね、びんでは入れられないから。
 アキラは本当に可愛い子ね。いかにも可愛い男の児という感じに満ちていて、すこし風変りな、すこしせっかちらしいくりくり元気な様子は、何とも云えず。ホラ、こんにちは、とちょいと抱いておめにかけたいわ。男の児らしい男の児って面白いわ。生れてやっと三ヵ月で、もうどうしたって男の児なんだもの。すべてがよ。ほろがやのなかに、くびれて丸々した手をのばして大の字になって立派な顔つきして眠っているのや、おばあちゃんや私にあやされて、キキと笑う顔つきや。とにかく大したものよ。傑作よ。この子は技術家にするのだそうです。いいでしょう。偉い役人という希望のもとに育てられなければ、幸福というものです。
 髪の短いの、そうでしょうねえ。涼しいと云ったってじっとりいたしますもの。私は昨夜南の窓をあけて眠って、こんな夢を見たわ。林町の家の前へ出る交番の横の坂をのぼって行って、ひょいと交番のよこからむこうを見たら家のあったあたり一面すっかり水なの。満々たる青い水で、こっちの通りだけはいつものとおりで家のあとかたもない水の面をおまわりさんは白服でぼんやり見ているの。私は驚きと悲しさとで体が立っていられないようになりながら、じゃお父様もお母様もどうしただろう、死んでしまったんだろうと思うの。水の色は何と碧く、その水の面は何とひろかったでしょう。珍しいわ、こんな夢。
 きっと室積で余り海を眺めていたからよ。それとうすら寒いのとが一緒くたになったのね。私の夢、いつも複合体で、色つきで、いろいろと手がこんで居りますね。目がさめても忘られない感じです、あの水の色。ああ、じゃあと思ったときの心持。こんな風にして悲しみが再現するの面白いことですね。心理的に家がないという微妙なところが表現されてもいて。
 先に、やはりあのあたりがすっかり林になってしまっていて、どこから入って行ってみても、家《うち》らしいものがなくて、よその家は樹の間にあるのに、悲しかった夢を見たこともあります。
 夢は私のところへ余り漠然とあらわれず何か感じを伴うのね、余りいつも見る習慣というのでないからかしら。その夢の中から目ざめて、しばらくは身動きも出来ない優しさで胸がしめつけられるような夢は、更に更に珍宝だから、一層まれにしか現れませんし。そういう夢から目醒めると、思うのよ、私の日常の表情の奥にしまわれている表情があるということを。ほかの人々のようにその表情は私たちの生活の中で表を流れず、地下水のようであることを。いつもその地下水から直接ふきあげ井戸が、小さいとは云え何とすがすがしい味でしょう。まさにその水でこそ眠る前の体が拭かれ、頭が洗われるにふさわしいと思います。あなたはずっぷりとその水をお浴びになると、私はいかにもさわやかに背中を拭いてあげるわ。
 お母さんは、輝を実に上手にお扱いになりますよ。気候の変りに注意ぶかくて、友ちゃんは本当にいいおばあちゃんもちです。あれで、食物にもお母さんが注意ぶかくおやりになれば輝は普通の病気はしらずに育てるかもしれません。私はもう「おばちゃん」というよび名を貰いました。なかなかいいわ。おばちゃんは一人だから大きいも小さいもございません。
 渡辺という車を運転していた人が召集で立ちます。友子さんが駅まで出かけるので、それにたのんで出して貰います。暑さ呉々お大切に。私は二十七八日ね、きっと。

 七月二十六日 〔巣鴨拘置
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