醇」のようなものには一つも女の作品はいれなかったのだそうです。やっぱり支那ね、あんな魚機のような作家もいたのに。
 ゆで玉子をたべながらチラリチラリ頁をくりますが大して面白いものなし。ところが妙なことで思い出しますが、戦国時代の一人の女のひとが「秋の扇とすてられたらば」という意味の「怨歌行」という詩に、新しい斉《セイ》の※[#「糸+丸」、第3水準1−89−90]素《ガンソ》(真白い練絹)の鮮潔霜雪のようなものを裁って合歓の扇となす。団々として明月に似たり、君が懐袖の中に出入し動揺して微風を発す。云々。団々として明月に似るというの面白いし、そういえば、私たちの小さかったとき支那|団扇《うちわ》のまねをしたダエン形の絹団扇があったわねえ、あなた御覧になったかしら。絹のふさなんか一寸ついたのが。
 今年は、軒に絵のあるギフ提灯もつけてみるのよ、大した甘やかしかたでしょう? 季節のその位のことぐらい。夏は夏をうんとたのしんで勉強しなくては、ねえ。涼風おこらざれば、みずから西風になって吹かん、でしょう? こうきくと、いかにも颯爽《さっそう》としているようですが。
 ね、下にいると面白いことよ、いろいろあたりの生活の動きが響いて来て。水を出したりいろいろしていて。今夜もうんと早ねをしてみます、ダルク眠たくなくなるように。明日は朝そちらへゆくつもりよ。さもないと青いものを入れられませんし、なるたけ早いうちにお中元をすましてしまいたいから。ほんとに落付ききらないうちに。

 七月十五日 (消印)〔巣鴨拘置所の顕治宛 徳山駅にて(徳山市街の一部(※[#ローマ数字2、1−13−22])、徳山市熊野神社(※[#ローマ数字3、1−13−23])、縣社遠石八幡宮(※[#ローマ数字4、1−13−24])の写真絵はがき)〕

 ※[#ローマ数字2、1−13−22]ここのエハガキはおやしろばっかりで中学のがないのね。あればいいのに。珍しく涼しくて混んだ汽車でも大助りでした。この分でしたらきょうも曇天ね。ここまで来て二時間も待つのは可笑しいこと。汽車の中では、ヴォードレイル伝というのを読み初めてこの詩人の生活を知りました。十九世紀のロマンティストというものの意味も突[#「突」に「ママ」の注記]めて考えながら。ハイネとの比較。

 ※[#ローマ数字3、1−13−23]大雨の被害は静岡までに目につきます。泥田になってしまっているところもありました。全国に大雨だったから相当でしょう、「いやんなっちゃうなア」と見ながら悲しそうな声を出している男あり。この男は盛に商売人の合同のことを話していました。子供づれで北海道から九州へゆくという一家があったり。いつもよく今頃旅行して、崖のくずれたのを見たりいたしますね。

 ※[#ローマ数字4、1−13−24]ああ。巖松堂の六法全書は出版九月頃だそうです、南江堂の本は送るようにうちのひとにたのみました。うちの留守のひとは菅野きみ子と申します。そのお母さんも来てくれています。本がついたら、ハガキでもおやり下さい。よろこぶわ、きっと。かけぶとんお送りいたしました。

 七月十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 山口県熊毛郡光町上島田より(封書)〕

 七月十六日午後
 今四時ごろ。鶏の声のきこえる二階でこれを書きはじめます。
 私は十四日に立って、徳山からのハガキ御覧になりましたろう? 十五日の七時前につきました。きのうは達ちゃん歯医者だの挨拶だので大多忙で、夕飯を終ったのは十時すぎました。それから持って行くものをつめたりして、それでも皆が床についたのは十一時半ごろ。
 今度のはね、いろいろの点が前とちがって又あとから広島へ行くということも出来ないかもしれないし、一切がひっそりで組合のひとたちが「柔《やわ》うにバンザイやりましょう」と本当にやわうに[#「やわうに」に傍点]それをやるという式でした。だから平服でお出かけよ。いろんなものを、ひきつれて出かけてはいけないというわけで、私たちは駅までときめ、友ちゃんだけがずっと一緒にゆくということにきめて床につきました。二人にとっては眠るどころではない夜であったわけです。
 けさは皆早おきで、そこへ速達が来て、あれは実にいいお手紙であったし、達ちゃんにとっても自分の感情の一番まともなところへ、まともにふれて来たものであった様子でした。兄さんにこんな手紙もらった、云いつけは必ず守るからよう申して下さいと本気に云って居りました。そして私もあのお手紙拝見したのよ。手紙のことなど強い実感が響いて居ります。達ちゃんもいろいろと前より深い感情と経験とをもっていて、あのお手紙はどんなにかよかったでしょう。お母さんは、今度達治が戻ったら三人で東京へ行かそう、と云っていらして。――そのお気持もわかるでしょう?
 九時四
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