、いかにも詰らなそうに考えられるけれど、そうでもないのでしょう、とにかく生活は大変よ、ね。
きのうはジャガイモが二百匁(一軒に宛て)配給になって、珍しく夜はジャガイモをたべました。パンもきょうは二ヵ月ぶりで買えるかもしれません。果物のたかさと品不足はひどくて、バナナなんてそれだけは買えないのよ。バナナが三本ぐらいにあとリンゴその他つめ合わせて二円ぐらいよ。お菓子だってそうですし。夏ミカンの姿なし、どこへ消えたのでしょう? ビワ、サクランボ、三尺下って箱のかげを踏まずの程度よ。バカらしくて。レモンの紅茶をのんでお菓子とクダモノの共通の目的を達します。
この間新聞に人口の大部分を占める一〇〇―一五〇円ぐらいの人の生活は最少限50[#「50」は縦中横]円ずつ赤字だって。それはそうでしょう。よくわかるわ。あなたも準じて御不如意なのでしょうね、余程かしら。これ迄あなたはよく、くりこしをしていらしたけれど迚もああいう芸当はお出来にならないのが当り前だし、余り足りないと困るわねえ。実力は半分のわけですものね、無理なのじゃないでしょうか。困るわ。心配のようで。せめて、キチンとお送りいたしましょうね、来月でしょう?
こちらの暮しかたのこと。全くひとのことは何とかしがくがつくのですけれど。私は益※[#二の字点、1−2−22]仕事の出来る生活的空気を大切に思う気がつよくて、この間の一週間は、ほんとにいい試みでした。
私はこの三四年の間に、それより前の私ではなくなっているのよ、どこがどうかはよく分らないけれど、とにかく。あの空気の中にいて何となくつめたい汗をいつも腋の下に流しているようなのは迚ももちません。生活している空気でなくては。よかったのよ、ですから、すぐあのときパタパタ荷作りしてしまわないで。ああ可愛らしい直感よ、わがカンの虫よ、と思います。このカンの虫は今にきっと又何とか方法を見つけ出してゆくでしょう、本月末のがすらりと通って順調にゆけばまたそこで一つ見当もつきますし。けれどもマア一年を半分に分けてやりくってゆくというところが現実の落付きどころでしょう。それは最低のスタビリティーよ。私たちは生きそして仕事をしてゆく、というその原型的形態ね。林町で朝目のさめたとき感じる、あの、これでいいのかしらという気持、孤独感(生活からの、よ)は病気にするわ。
これでいいのかしら? それはそこにある生存の全体に向って感じる深い不安です、でも、そういうものは全く感じないでやっているのね、不安を感じないばかりか疑さえ感じないのよ、それは今のような世の中の空気の中で非人間的な、印象よ、何だか。
殿様的空気ということは現代ではおき去られた非存在的存在の感じでね。私がそういう空気に棲息出来ない生物であるということは、私の健やかさだし身上だと痛感いたしました。何だかだからさっぱりしてね、だってそっちの山道へは足を向けないときまったのですもの。人々の中へ。人々の中へよ。文学はそれを自然の方向としているのですし。こっちの方向で、さがす、工夫する、思案するという次第です。御同感でしょう? 二兎を追うべからず、というのは生活の上でも二筋はかけられないという真理をつたえているわけね。そこのところにはなかなかごまかしがきかないから、面白くて。そこのところが何とかうまく二筋道になっていれば、きっとどこかにそれだけの裂け目があって。
このお手紙の「波乗り」の描写をよんで、私は本当にあなたは海の感覚を体で知っていらっしゃると思い、同じ詩の話にしろ、ここには、あの虹ヶ浜の波を体に浴びたひとの感覚があります。引きしおに全身がまきこまれるところという感じかた、ほんとうに溌溂と語られていて。そういう瞬間、子供たちは我知らず叫ぶでしょう? 叫ばないでいるというのはむつかしいわ。面白さ、うれしさ、いい心持、こわさ、みんな一どきですものね。
「波乗り」につれて思い出します、あなたがいつかお話しになったこと、覚えていらっしゃる? 波のりをして、のうのうとしてゆるい波に仰向いて体を浮かせたまま、いつの間にか眠っていらした話。夏の日はキラキラとしていて、何と横溢的だろうと忘られない印象よ。
海にあなたは本当に馴れていらっしゃるのね、荒[#「荒」に「ママ」の注記]しもなぎもよく知っていらっしゃるのね。波の底の地図も。海底のいろいろな様子で、潮がどんなに変ってゆくかということも。あああなたは、よろこばしい魚のように身をおどらしてそこにもぐっていらっしゃるのね、それから波と体とをやさしく調和させながら、高く低く、迅くおそくと力泳して、すこしつかれたときはじっと浮んで、いつか又波のうねりに誘われて泳ぎはじめ。
飽きることのない夏の日がそこにあるのです。
海にもおよがれるよろこびというものはある
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