やって今日までのびたのですけれど、誰かいい人の伝記ないかしらとも思ったのですが、つまるところしかたなく、やはり感想として書くことになるでしょう。これを終ったらもう私は小説しか書かないようにと思います。書くからには本当に若い心の心にふれ、精神をうるおわすものをかきたいと思って居ります。たとえば、今日死の問題が私たちのまわりにあります、ブルージェの『死』が、あんなにうれたりする理由。葉がくれの哲学がもてはやされます。武者小路の「愛と死」という小説がどび[#「どび」に「ママ」の注記]ます、しかし、死が、いかに生の中にあるものだ、かということ、一番明白な理由、死んだ人にはもう死がない、その人の死は生きているものの心の中にある、という関係で、そのような死を生にいかにうけとってゆくかということだって若い人の心もちの納得ゆくように解いては居りません。葉がくれの死狂いなり、死ねばよい、という表現だって、ごろつき学生の解釈とはちがうべきものです。こういうことはしかし、小説ではちょっとかきにくいでしょう、場面的に。
今日の性格が、今日的色彩を一応は一般的なテーマに投げている。それを正常な理解において明らかにしてゆくということはやはり一つの大切なことでしょう。えせ宗教論のはびこる心理についても書くつもりです。
例えば結婚論にしたって、先ず人と人との正当な理解ということがすっかりオミットされて、ごく皮相な優生的条件だけで、結婚が云われている。それはやはり一つの間違いですもの。
眼の衛生の本。去年、南江堂で買おうとして品切れで、そのうち私の方がよくなったのでそのままになって居ります、眼の本はうちにありません。
「ミケルアンジェロ」そうだったの? よんだ本によって調子が書評につたわって来るということは、あのとき痛切に感じ、そこによいところとよくないところ(自分として、よ)があると思ったことでした。
協力の本はもう二百頁も校正が出ました。これなら本当に本月二十日すぎ本になるでしょう、すらりとゆけばいいこと。すこしはどしどし増刷になってほしいと思うわ。
家のこと、一昨夜、うちへ仕事てつだいに来ていてくれる娘さんといろいろ相談して、もしかしたら何とかゆくかもしれなくなりました。そのひとは母娘きりなの。父さんはお灸をやっていて、今は満州の何かの病院の物療科へつとめて行っていて当分かえらず、そこから生活費が来ているのよ。(少々ですが)
娘さんは掘り出しもの的逸品です、絵をやっています。ずっと高等小学を出てから働いていた人。おっかさんというのは、とびの者の親方の娘で、やはり辛苦した人で、それは気質はいいのよ、勿論、そういう世の中で育った人で其れらしいものの考えかたはあるけれど。江戸っ子だし。
経済的な点で、私の条件が本が出てゆけばやってゆけるの、その人たちと。私が下宿した形で。いいでしょう? ここで。もしそうしたらいろいろの意味から環境としてずっと林町よりましです、生活のつつましさ、情愛や。いろいろ。いやさはどうせあるにしろ、それもその性質がちがうから。
私は生活の中に情愛のなさにあきていて、(たとえば、きのう用で出かけてかえって見たら、その娘さんが机の上へ花を新しくさして行ってくれてあるのよ。そんなことをこんなにうれしく心が和らげられて感じる、そういう乾きあがって胸のわるくなるような毎日だから。派出婦って、そうね。)そんなおばあさんや娘と暮してみたいのよ。同じ気がねなら、そういう人にした方がさっぱりしていると感じるの。食事なんかそのうちの程度を基本にして(大変粗末です)そして特別は特別として、やればいいでしょうということも話したの。そして、大笑いしたのよ、どうも私の心持はこうやって粘って粘って見た結果、荷物は林町へやっても身柄は自分のところへとっておく方が自然に思える、と。たとえばいろいろ倹約にしろ、林町ではその家との関係その他で、つつましいながら精一杯のよろこびを獲てゆこうとするいいところがなくて、しわさとして現れるのよ。何故なら、自分だけ一人でこっそりつかう金についてはひとに口を入れさせないで、うち[#「うち」に傍点]に使う金、働くもののために使う金、それをやかましく云うでしょう。そうすると、しわいという感じが先で、私は腹立たしく思うのよ。
そういう経済上の秘密主義に立って、こせこせ云われる空気、大きい家のあちこちにボーとした電燈しかつけておかないで、夜は薄明りの中を歩く心持、どれも私の流儀(人生への)ではないのです。
自分がそこで過した子供時代の生活がまざまざとのこっているその場処が、現在そうであるということは感じなしでいられなくて、その点では芥川の「庭」という小説ね、あれをよく思い出します。あれを思い出す、そのことに、もう一つのトーンが
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