たちの生活の条件から保たれている健全さというものが、どの位貴重なものか、それが生活や芸術の成長にどんなものとなっているか。それが有ると無いということで、何だかごく近い友達たちとの生活感情との間にさえ近頃は何か変化を生じて来ているようでさえあるという事実を、私は決して軽く見てはいないと思います。この後二三年も経ったら、どういうひらきを生じるのだろうと思うことさえあるわ。
 主観的肯定に陥る危険について自分で深く考える理由の一つとしては、逆にそういうことから、狭い自己肯定になってはならない――文学上のこととしてはリアリティーが弱まってはいけない、と思いもするわけです。
 私には云ってみれば、慈悲の鬼がついているのだから、なかなかのびが戻らぬという有様でもいられないわけです。ここにあげられている四つの条項は、これは常に変らない自省の土台となるべき点であることはよくわかります。温泉や旅行は云々と老後が結びつけられていること、何か頬笑まれました。だって、私は老後というものをそういう条件であらわれ得る歴史の性質でないとばかり思っていたから。何だか珍しい珍しい気がして面白かったの。自分たちを、じいさんばあさん(鴎外の小説の主人公たち)のようにして考えると。でも、やっぱり本気にされないわ、おはなしのようです。
 叢文閣の本火曜迄の約束。たしかに果せます、着手して居りますから。
 十一日づけのお手紙、お年玉とりあげについてはこわかったけれども、然し勿論ありがたい心でよんで居ります。
 心持って面白いことね。もし私が正月号のための仕事やその他本当にすっかりなげていたら、こんな手紙頂いて、どんなに悲しく思ったでしょう。
 又心持って面白いものねえ。この間、あなたが、ユリにもし旅行の計画でもあったら、いったらいいね、と仰云ったとき、家へかってみんなにそのこと話したぐらい、くつろいだのびやかな楽な気分がしました。行ってもいいよと云われ、しかしあながち、では、と出かけないでも、そこに何とも云えないゆとりのある心持が生じる、行っていいこと? ああ。そう云われたのとは全くそれは別種のこちらの気持に与えられるゆたかさね。こういう心理的なふくらみというものを考えます。そして、互にそういうふくよかさを与え得る者はきまっているということも。
 でも生活は何と面白いでしょう。たとえば手紙一つの読みかたも次第に立体的になって、心の全体の動きとしてよめるようになって来て。ねえ。
 わかってゆくということは極めて生的動的ね。わかる部分ずつわかってゆくのね。すべての価値がわかってゆくそのわかりかたの面白さ。そうやって、少しずつ少しずつわかって行く部分がそのひとの身についたものとなってゆくことの面白さ。
 頂いたお年玉はもう頂いておかえしはいたしません。きっと、とりかえさずとよかったことがおわかりになったと思いますから。

 一月二十日 (消印)〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕

 一月十九日  第五信
 きょうは風のない暖かな日曜日でした。十六日、十七日のお手紙、二つ一度に着、ありがとう。
 ボンボン、私がよろこぶのもあたり前とお思いになったでしょう? 昔子供のとき、風邪で咳が出るとコルフィンボンボンというのをのまされました、それは咳とめよ。ハッカが入っていたようです。
 計算書のこと承知いたしました。これとは別にかきます。あの本は本当に面白く、みんな通って来たところどころの変化の姿の真実が語られているのだから、まざまざとしてウィーンの破壊された建物の話でもね。そのアパートメントを私は見物に行って、そこの住居人の子供が名所エハガキを売るようにそこのエハガキを売りつけるのを見て、一種の感想をもちました。そして、やはりその感じの当っていたこと、そんなにして小遣稼ぎをする子供らの生活が語っている実相がその真の向上の方向には向けられていなかったことがまざまざと分り、実に面白うございました。
 一九二九年の五月はワルシャワでね、その朝の光景なんかいつか書きましたねえ。みんな目に見えるようで、従って、実に会得するところ大[#「大」に「ママ」の注記]かったわけです。
 それにつれて、あなたが(武麟評して大|伽藍《がらん》のような構成だと云った)文芸講演会のトピックの意味も、くりかえし思い出されました。何日かをぶっとおしに当てるという方法が一番有益ね。この間のは菊版で四百何十頁か。二日殆ど食べる間だけ休んでよみました。本をもっては国府津でよめたりしたらいいのにね。益※[#二の字点、1−2−22]そんなことは実現おぼつかないことになります、切符の関係で。
 甘やかすと為にならないのは天下の通則ながら、私は、しかし甘やかされすぎたということが、いつかあったのかしら。
 動坂で、松林の模様
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