え、あなたのお年玉の一つとして。雪解けの音はすきです、荷風はうまくかいています、「雪解」という小説で。
一月十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
一月十一日 第三信
今この二階へ斜かいに午後の陽が一杯さし込んでいて、家じゅう実にしずかでいい心持。
お恭は、一時二十分の準急で立つのですが、十二時に家を出てそれでもういくらかおそめです。この頃の汽車は、出発前十分に駅にゆくなどという昔のハイカラーなのりかたは夢で、上野なんか西郷の銅像のあたりまでとぐろをまきました、それは暮だけれど、今日はどうでしたろうか。小さいトランクにふろしき包み一つ。コート着て、赤い中歯の下駄はいて。顔を剃ってかえりました。
きのう迄寿江子がいて、二階狭いから私はベッド下へ布団しいて臥《ね》て、何だか落付かなかったので、昨夜はいい心持でいい心持で、久しぶりにベッドの中で休まりました。寿江子神経質ね、毛布なんかに虫よけが入れてある、その匂いでゼンソクおこすのよ、ですから戸棚にしまってある布団にはねかされないの。ひどいものでしょう。それにカゼ引いていたし優待してやったの。
見事なお年玉いただいたしこれで私のお正月になりました。
お年玉といえばね、きのう本当に珍しいボンボンをたべました。あんなボンボンこの頃どうしてあったのかしら。ボンボンであるからチョコレート製にはちがいないのだけれど、口がひとりでにそこへ誘いよせられるような工合で、口の中へやさしくうけとったら、かんでなんかしまえなくてね、ボンボンが溶けてゆくのかこっちがとけてゆくのか分らないような濃《こま》やかな味なの。素晴らしいでしょう? ボンボンとはよくつけた名と思います。お美味《いし》い、お美味いというそのままの名なのだもの。フランス人はしゃれて居りますね。キャンディなんて、それは歯でかむものの名です。かみそうな名じゃないの。ボンボン、響も丸やかで弾力があって、本当にボンボンの感覚です。
こんなボンボン好きみたいなことを書くと、あなたは心配なさるかしら、さてはユリは糖分過剰にならないかナと。大丈夫よ。このごろ、きのうのようなボンボンは決して決してざらにはないのです。
こうやって、お年玉のお礼だの美味なボンボン物語をしていたら、十一日づけのお手紙着。(十二日)
そして、何だか折角頂いたお年玉をみんなとりあげられそうで、びっくりいたしました。
二月号に書くもののばしたというのは一つだけなのよ。『文芸』で、「小説の明るさ」についてこの頃いろいろ云われている、その正しい概念について書いてくれということで、このことはこの頃考えている精神の明るさの問題と等しい根拠で語られなければならないから、大切なことと思い、ただ、展開してゆくのに具体的でなければならないから、骨子だけで語ることは出来ないから、いろんな作品――所謂《いわゆる》明るいという――宇野のもの、武者のもの、徳直のもの等――その作品の分析をして、語らねばならず、小説のこと考えていたら、こまこまそんなものよむのいやで六日に間に合わず、のばしたのよ。一月号のためのものは一つもあまさず書き終って居ります。長いものの手入れだって、二十日の自分の〆切りが二日のびたのだけれど二十二日には全部わたしているのだし、小説だって書いたし(『文芸』)その他こまこましたものだって書いたし。
あんなにいいお年玉頂き、それを忽ちとり上げられたりしては一大事だから、ユリこのところ必死の防衛よ。くりかえし申ますが、正月号のは、小さい女の子の雑誌から『婦人朝日』対談会出席まで一つも違約なくやって居ります。のばしたのは二月号のものの中でも『文芸』のそれ一つよ。あとは書いて居ります。そして、そういうことはお年玉をとりあげられたり、お嬢さん的云々というほどのことではないように思えるのよ。
度のすぎた労《いたわ》りや祝辞は云々は全く恐縮で、これから本当にお止め? しかし、もし相当ちゃんとしているのだとしたら、お止めの理由もないわけね。人間が成長してゆくためには、暖い光も時にはいるものよ。まして、その一本の草がどのようにのびようとしているかということについて、真実の同感や思いやりや期待をもっていてくれるものが、ほかに大していもしないという場合には、ね。そして、同じ源からの激励に対しては、全くそれを評価して、最大に活かそうと試みられているときには、ね。
食って、しゃべって、遊んで、のびが戻らず、間に合わないではというところよんで何だか笑えました。のびが戻らず――まるでそれではこの頃のゴムのようね。
いろいろぐるりの空気、文学上の空気が何しろこうですから、あなたが、小乗的愛を警戒なさるお気持は大変よくわかるわ。私がよく書くように、人間の生活の条件は実に微妙で、私
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