るらしいのよ。人徳があるらしいの。えらいでしょう? ごくあたりまえの人の心もちというものはそういうようなところから動かされてゆくものであるという例ね。
 周ちゃん、てっちゃんのお父さんの若かりし日を思い出し、この十年の複雑であったことを考えます、ときょう手紙をよこしました。そんなにおっちゃんに見えたんでしょうか。しきりに感服していました。そして虹ヶ浜のとききれいな方がいて、背中のあいた海水着着ていてうしろにまわっては見たと大笑いしていたわ。その人はお嫁に行きました、てっちゃんがそう云ったら、しばらくして田舎のものは男のひとと女のひとといると、すぐ結婚でもなさるものと思うて、と云ったら、いや結婚していたんですが、と云い、周ちゃんのそのときの顔つきに私は好意をもちました。そういう点ではすれていないのね。こういう環境って在るでしょう、娘二人いて、そういう職業で下らない奴等がうるさくて、それに対抗してゆくためにお上品ではやって行かれなくてヤガル言葉もつかうという風な。そんなところがあるのよ、ね。男と遊ぶ遊ぶっていうけれど、遊ばなけりゃお金にならないし、(女優のこと)そういう表現もつかいます。随分ひどいことを見ききしてはいるのよ。やっぱりよくないことはよくないわ。或るくずれも感じます。しかし自分ではくずれた暮しでやって行きたいとは思わず、堅気な安定を求め、工賃だけでもいいから定収入がほしいと云っています、結婚の対手もなかなかないのね。気質はいいのだから何とかまとまればいいと思います。お母さんのお手紙にあった人との話のことね、事実はあったのだろうと思われます、今もう自分で何とか考えきめたのねきっと。顔のきれいな人は得ですね、というような考えかたもそのままでしているらしいわ。何だかああいう女のひと面白い。変にまとまらない輪廓で、人柄はわるくなくて、案外堅気で、一寸そうでもないようだったりして。
 きょう、大森の奥さん来て、かえりによったと云って涙こぼしていました。やっぱり一緒にやってゆく気がしなくなっているのね。時間とかその他の原因ではなくて、その人との合いかたが保てなくなって来たのね。まるでつっぱ|ね《なした》る物云いで、と涙こぼしていて気の毒に感じました。たった一本の棒のようで結びかけてゆくいとぐちもないようなのらしいのね。勿論私は話されることをきいているだけですし、何の差出も出来ることではありませんが。奥さんは割合普通の気質のひとなのね。ふりかえってもくれない人のあとから自分だけついてゆく、ゆかねばならない、そういうのがやり切れなくなっているのよ。ふりかえりなんかすることはいらない、という素振りのひとにしろ、心は勿論かかわっているのですが、それをまともに生活として表現もしないし生かさないのね。気の毒です。ただ、やって行けないことが他に人的関係でもあってのことと思われたりしては事実そうでないのに互の不幸だから、そうでないことや何かこまごま分り合いたいのにとりつく何もない由。云うことはきまっている(自分として)、だからよく考えて来い、もうかえれ、ではやはり涙こぼれるのね。人と人とのことは本当に複雑だし、生きているし。
 これは、タイプライタアの用紙を書簡箋に刷ったものらしくて紙はにじみませんけれど重いらしいわ。もう六枚で、一枚では行かないかもしれないことよ。
 今夜からお恭ちゃんの春休み終って只今外出中。おけいこよ。私は一人。夕飯たべて、それから一休みのところをこうやって書いて居ります。
 きょうも一寸おはなしした分割のプラン一寸一人相談して見て、すこし研究してそれで駄目そうだったらやっぱりきめてあったようにいたしましょう。
 それはこのお手紙にあるとおり、心持のもちかた次第というところはそうですが。私の望ましいのは、もっと私の日常があたりまえの大人や子供の日常に平凡に入ってゆくことであって、たとえば周ちゃんにしろ、ここならあんなに安心して横坐りしてコンパクト出しておしろい鼻の頭へ叩きつけたりしているけれど、あっちでは全然ちがってしまいますしね。人がそういう風にちがってしまうのよ、それが、私の心持のもちかたにかかわりなくあらわれるのよ、私はそれが余りまざまざでいやなのですね。
 何しろしかし、私のこの間の算術の示したサムはいかにもチビですからね。余程うまくゆく条件でなくては無理です。邦文タイピスト級とは大笑いね。同時にまことに厳粛な事実です。
 寿江子の体、大してわるいのでもないでしょうが、今時候がよくなくて、私なんかもひどい御疲労よ。あれやこれやで。そして、そうつかれると薬が欲しいでしょう? そして、薬かわきになったり多忙をきわめます。
 タイピスト級の宿題と薬補給のねがいとの間をあっちこっちして相当眠るのがおくれてしまうと云ったら、バ
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