たとえば、うまい、というのではないが、「新しい船出」について云っていて下さる点など、ね。
刻みということ、(文学の)面白いことね。この頃の世情の荒っぽさは刻みのこまかいものをまどろこしいとするのよ。だからうまくなった作家は立体的に刻みこんでゆかず、つい横に流れ出すのよ。そして、テーマもそのように扱われがちになる危険があります。
それから、私は大変深い興味で感じたことは、あなたは「広場」「おもかげ」を比較的完成したものとして内容も十分よみとって下さいました。そういう人もあったけれど(他に。そして美しい作品とした人も)なかには、あすこで語り切れなかったことを全然わからなくて、わからない、と云った批評家もありました。それも、外的条件にしばられた一つのことであるが、又、読む人が小説というものに対する気持も、お楽なのね。(マア、こんな風になって来たわ、ガタガタよ)
二日のお手紙で、感じたことをためておくのは面倒だからと仰云ることよくわかっています、それはもうそろそろ分っていい頃ではないの、もうやがて十年めよ、私たちの生活は。来年で十年よ。
作家としてリアリティーへの追究が生涯を通じたものだということは実にそうですね。私は重吉という人物は本当にそこに動く暖い人がいるように描き出したいと思います。今は少年の重吉から書きたいわ。そして、いつか手紙にかいた米の小説ね、その中で。私は一つの雄大なプランを考えているのよ。「海流」などでも一部そうだったのですが、ひろ子の家庭の社会的なありよう(形成)とその分化と、重吉の家庭とその分化と、もう一人店員である女の子の家庭とその分化とが、全く互にかかわりのなかった地域から源を発して、一つの大きい歴史のなかで結ばれて行くことについて、あの小説を書こうとしはじめたのですが、今はもうすこし深まり進んで、重吉の環境は、三代に亙る日本の米の物語の推移として書いて行こうと思うの。ひろ子の境遇は、都会における富の分布の反映として。だから、先のように無理に一つの本の中にはつめこまず、三冊ぐらいになって、一つの大きい交響楽が組立てられるわけなのですね。それだけの腰をすえて、ねっちり余念なくかからなければかききれず、「海流」のようにせき立った目前の輻輳になるのだわ。昨今の生活の事情を、そういう仕事の完成のためにあてることが出来たら、一つの大した収穫でなければなりません。「伸子」から後の発展、展開は複雑であって、余り歴史的で、片々たるものにはつくし切れないのね。しかし、あれから次の長いものをつなぐ踏石としては、「広場」、「おもかげ」、「乳房」、その他あって、筋は一筋貫いて居りますが。その点で私はたのしみがなくはないのよ。「おもかげ」にかかれている青年の死をめぐる一くさりも、もっともっと描きたいところです。いろいろいろいろ書きたいわ、ねえ。
夜着の裏が切れましたって? 困ったわね。やはりカバーがないと駄目ですね、あの方はカバーなしでしょう? あれは丈夫な木綿でこしらえたのに。でも、夜具の裏が切れるなんて面白い、(面白くないとも云えるけれど、それだけ臥ていらっしゃると思えば、でも女はきらないから、そんな生活の力もっていないから)ね、手袋なしですむようになったら、あの大事なフカフカ手袋すぐかえして頂戴ね、大事、大事にしまっておきましょうよ。もうあんなのさかだちしたってないことよ。お恭ちゃんは、只今顔剃りに出かけています、おしゃれして、親類へ行くのよ。洋裁は七日迄春の休みです。十一月一杯で卒業よ。メン状くれる由。そしたら田舎でひとに教えられるとたのしみにして居ります。
周子さんがもうそろそろ来るころです。その話をかこうと思っていたら、こんなに二通も到着で、私は歓迎にいそがしくて、紙は一杯になってしまったわ。何とひどい風になって来たでしょう。東京の春は、これでいやね。女の人はちっとも美しくなれないわ、風に吹きまくられて。風が吹くと、ほんとに日本服の愚劣さを感じます、衣類が人間の肉体を守るのではなくて、衣類をまもるために女は体を折りかがめて苦しむのですもの。
では、マタアシタ(これは太郎が夕方友達とわかれるあいさつ。)
四月七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 目白より(封書)〕
四月三日(紙がこんなで御免なさい)
今は夜で、机の上のアネモネの花がつぼんだために花茎をぐっともたげたような形でかたまっています。
あちこち宿題の手紙をどっさり書いて、それから仕事をしようとしてその下準備にレオーノフの「スクタレーフスキイ教授」という小説をよみはじめ、いろいろ面白くてずっとよみつづけているのですが、よみながら私の気持は二重に働いていて、どうしてもねじまがりにくい方向へ自分の頸をねじまげようとしているようで、どうも駄目だ、何故だろうと
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