せん。日本に最初の仕事なのだけれど、これまた系統が立ちすぎて、なかなかの苦労というわけでしょう。評論風の仕事でやってみたいのは今そのプランと、荒木田麗子とかいう徳川時代の婦人歴史家の仕事についてのノート。これは手近で、案外『文芸』あたりにのるのかもしれません。徳川時代の女が和歌俳句の領野にかたまっていたとき、この細君一人、永い歴史ものをいくつもかいています。この夫人の旦那さんはものわかりがよかったのよ。大いにはげまして、方法も教えて(或は)テーマもヒントしてやったらしいのですから、夫婦としてもなかなかほめるべきです。この女のひとと、婦人の狂歌師――諷刺詩人が一人いてね、それもどういうのか知りたいの。何をどう川柳としてうたったかということについて。大変珍しいのですもの、女のそういうジャンルの人は。
小説は、筑摩の仕事まとめてからかかります。ほんとに骨格のしゃんとした、肉づけの厚くて動いている小説かきましょうねえ。
太郎が四月一日、きのうから学校よ。三百二十何人か新入学だそうです。五組にわけて、太郎は第三の組。今年から国民学校で八年です。きのうは、あれからカンガルーのブックエンドをお祝にもって行ってやりました。
おけさという開成山のばあさまが、太郎の入学祝いに田舎からわざわざ餅をついてかついで出て来ました。これはおじいさんのとき一郎爺(私は三郎爺としてかいている爺さん)というのがあって、その娘で、大した働きもので、今では富農です。気のからりとしたばあさんで、寿江子や太郎なんか私もろとも孫と思っているので、お祝に来たわけ。
そのばあさまは、私があなたのことや島田のこと話し、やっぱりあなたがおばあちゃん子だったこと話すので、お目にかからないのにそんな噂も知っているのよ。雪雄っていう六つの孫が御秘蔵でね、なーして(どうして)、こんげな(こんな)鬼みてよなばあさまにとっつくだ、というと、雪雄は、そいでもいいんだア、めんごくねえことねえ(かわいくないことない)って云ったと云って、トロトロになって云って居りました。そして、東京へ来るって云ったら、おら、どうすんだ、道ばたさばっかりいんのかアと歎いた由。なかなかおばあちゃん、恋々たらざるを得ないわけね。どうして大した殺し文句です。そういう気質って何だか面白いわね。お母さんがいつかこんなことお話しなさいました。誰か何か用があって、ついて来ちゃいけないってあなたに云ったら、その家の外まで来て、青葉しげれるの歌をくりかえしうたっていらしたって。母さん忘れることがお出来にならないのよ。御存じないでしょう? 忘れてしまっていらっしゃるでしょう? 雪雄の表現で、私はすぐその話を思い浮べました。それはきっとあなたも五つか六つの頃のことよ。この話は私の大の気に入りです。そういう風情のふかいエピソードは私にはないらしいわ。オダマヤチャン、ケムシイネぐらいのことで。オダマヤチャンとは自分のことですって。
『文芸』で評論募集をやりました。選者中島、窪川、小林。そして佳作になった二つのものは、いかにも今日らしいもので二十二歳のとんだおそるべき児も居ります。うつって来て居りますね。カルシュームが全然不足した赤坊です。募集の真の意味がもうなくなって来ているということは皆の一致した感じのようです。よい泉がないということより、ふき出るものの質の意味でね。在るということと表現されるということとのいきさつが決して「『敗北』の文学」のような一致をもち得ないわけになっているから。
あら、あら。きょうは又何たる豊年でしょう。考えて下すった通り一日午後のと二日朝のと二通到来。たしかにいい休日になりました。昨夜はたっぷりも眠ったし。余り風もないし。いい日らしいわ、きょうは。
くすりのこと、本当にそれはきいて居ります。神経の緊張をとくためには全く目に見えず偉大に作用しているようです。相当むしゃくしゃしたところもあるのだけれど、この程度でいるのは、くすりのおかげだろうと思います。
さて、一日の分。「牡丹のある家」と「樹々新緑」との間にある成長は、きわめて著しいものです。「くれない」以後、作者は数歩進みました。この頃のことは、単純に云えない進歩の段階です、というのはね、うまさが余りきわだって文章がひとりでに走って行っているような感銘で、批評に、職人的うまさについて注意が払われていることも全然はずれていないという心配があります。「素足の娘」のあたりからそういう一つの時期に入っていて、この作家が本当に文学のよい素質でそこをどう成長してゆくかということを考えさせ期待させます。今、やはりむずかしいところね。一応うまくなったというところにその時期の成長のモメントがかくされているのは、私自身のいろいろな仕事の、いろいろな段階についても同じです。
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